立ち止まることと、少しの不便

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<この記事を書いた人>

東京は雪になりました。

私はたまたま出勤日でしたが、早めに帰らしてもらえて本当に感謝です。

 

息子たちは早めに帰宅。

私もいない中のんびりすごせたからか、お風呂を沸かして待っていてくれました。

 

やっぱり思うのですが、人生には余白と言うものが必要です。

子供たちは家にいるしかない状態で、間にも余裕ができたから、私にも優しくしてくれました。

雪の中仕事に出たのも大変な思いをして仕事をしてくれていると思ったのか、「お帰りなさい」ではなく「ありがとう」と言われました。

 

ありがとうと言う言葉は最強で、ありがとうと言われるととても満たされた気持ちになります。

 

ありがとうという事は、ゆとりの中から生まれる事なのかもしれません。

 

空をみるゆとりはあるのか?

先日「今日誰のために生きる?」という本を読みました。

そこで、空を見るゆとりはあるかというような内容が書かれていました。

 

今日は雪が降っているから、いやでも何度も空を見上げました。

それが無意識にゆとりを生む行為だったのかもしれません。

 

一旦手を止めて空を見上げて雪の様子を眺めるという、その行為は無意識に心の余裕を生み出し、子供たちも私もゆとりができお互いに優しくなれたのかも。

 

そして、今日は雪が積もって自転車を走らせるのも大変でした。

普段すんなり自転車に乗れることすら、ありがたいと感じました。

そんな中、家に帰ったときの安堵感っていうのも格別氏でした。

 

だから、ちょっとしたゆとり、ちょっとした不便も時には必要です。

がむしゃらになることも必要な時もあるけれど、立ち止まって、日々の当たり前を見直すゆとりも大事ですね。

 

 

 

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