主体的に生きる事

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受験生の長男

3歳で父親を亡くした長男が先日15歳になり、いよいよ高校受験です。

正直賢いわけではない長男ですが、何よりもエンジンの掛かりが遅いのです。

行きたい学校も明確ではなく、だからこそやる気も出ないのでしょうね。

 

だけれど、自分である程度決めて、自分で自分の道を進んでほしいというのが、私の本音です。

それを塾の先生とさんざん3面談で話しているのですが、長男は他人事です。

過去の私

夫を亡くす前の私は、受け身の人間でした。

良く言えば放任主義の母が、私の学力に見合いそうな学校を選んできて、学校見学も行くことなく、受験校を決めました。

せめて制服がかわいいところが良かったのですが、とにかく制服が地味な短大付属と制服がめちゃくちゃかわいい付属のない高校に受かり、短大付の保険付きの高校を親が選びました。

私も自己肯定感が低かったので、親の安心=自分の安心だと信じ、特に魅力を感じる事のない高校に進みました。

そんなことで、私はとにかく親のせいで人生がつまらないと思って生きてきました。

結局その高校が嫌いすぎて、短大には進まず外部の大学に進むことを決め、夫と出会うことになります。

主体的にならざるを得ない人生

その夫にも先立たれ、そこから本当の意味で自分の足で人生を進んで来ました。

誰でもなく、自分が苦しくても、なんでも決めなければいけない人生。

最初は苦しかったです。

しんどかったし、いつも逃げたいと思っていました。

でも、逃げたところで、それで逃げ切れるかと言うと、そうはいかない人生です。

逃げた先も自分一人で決断しなければいけない人生が続くのが分かっているから、自分で決めてきました。

でも、正直、その方が人生面白いのです。

苦しいこともあるけれど、人生を主体的に生きるという事で、納得いく人生になっていくのです。

納得できなければ、次にどうするか、それを考えるだけ。

人生を主体的に生きる事、自分の人生自分のせいと認識持ちながら生きることは、生きている実感が持てることでもあります。

 

息子にはこれがどうも伝わらない。

でも、伝わらないという事は、彼がそんなに苦労も感じていない、ともいえるのかなと思います。

それくらい、私個人は頑張っているし、子供たちに父親がいなくても不憫な思いをさせていないのかと思えば、自分は上出来と言ってもいいのかもしれません。

 

でも、この受験という一つ大きな決断で言えば、彼が自分で決めて進んでほしいと思っています。

それができるかどうかは、私が黙って見守る事なんでしょう。

自分の親の反面教師として、ついつい口を出してしまうので、ここは私が主体的に見守ることを人生で経験するときなのかなと思っています。

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