生きる事への、大切な気づき

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<この記事を書いた人>

今年の初め、自分の夢を追いかけて、巣立った人がいます。

私とその人とは歳の差があって、私はとても年上ではあるけれど、世代を超えて「相性がいい」という感覚を持った人でした。

いつも夢を追いかけて、一生懸命取り組んでいて、とてもキラキラしていて、私は心から応援していました。

そうしたら、栄転になりました。

それは、少し寂しかったけれど、とてもうれしいことでした。

良い人生を歩んでほしいなと、心から思い、死別後の一期一会に感謝した経験でした。

 


その人から、こちらに用事があり、上京するから会いませんか?と声をかけてくれました。

私の出張の日とぶつかり、残念ながら会うことは叶いませんでした。

でも、とても感動したのです。

 

私を思い出してくれたことは本当にありがたいし、大事な時間を私に使ってくれようとしたことに本当に心から感謝の気持ちが沸き上がりました。

 

そして、当たり前なのですが、今回の子の連絡で「生きていれば再開できる」と実感しました。

 

生きていることは、日々いろいろなことがあります。

嫌なことだって、踏ん張らなければいけないことだってある。

むしろその時間の方が人生では、多いのかもしれません。

 

でも、生きていれば、こういう感動体験が必ず織り込まれます。

私は、その人ともう二度と会うことはないかなと思っていたのですが、生きていれば可能性はゼロではないという事を気づかされました。

というか、会いたいと思えば、私から積極的に会いに行くことができます。

生きているって尊いなと。

この一つの連絡で、私は当たり前だと思っていたことが、そうではないと心の底から思えました。

生きているって、希望です。

生きる意味さえ分からなくなった経験があるからこそ、それを強く感じます。

 

今回大阪に行きます。

会いたかった人たちに実際にお会いする予定です。

 

ちょっといろいろと、私サイドでチャレンジがたくさんあるので(これはことがすべてうまく言ったらお話します)、とにかくこの週末はわくわくとドキドキがかなり含まれた週末です。

生きているって感じです!

 

そして、大阪ランチ会にどうしても来られないと連絡をいただいたかたもいらっしゃいます。

だから、私には会いたい人がたくさんいて、だから生きる意味や生きる糧にもなるのだなぁと、心から感謝と希望を味わっています。

会いたい人には絶対会う。会う必要がある人には必ずその機会が生きてさえいればやってくると信じています。

 

 

 

 

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