私が欲しかったものを持っている友達の悩みを聴いて思う事

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<この記事を書いた人>

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友達の悩みは「ある」からこそ

死別後12年。

旦那様がいる友達は、ぼちぼち結婚歴15年〜20年と、年期が入ってきています。

話を聴いて、人生色々あるなと思います。

それが良いとか悪いとか、私はジャジする立場でもない。

ただ今は、私は、自分の人生は満更でもないと思っています。

彼らの人生と全く比べていないかと言うと微妙なところですが、でも、自分の人生をどう捉えるか、何に着目しているのかを気付くきっかけにはなりました。


旦那さんがいて、ちょっと仕事をして…みたいな、私の思い描いていた理想の未来を生きている友達が、例えばママ友のことで悩んでいたりする。

私は夫がいないから、仕事をする事を中心に考えざるを得なかったし、元々不器用なので、ママ友付き合いは、限られた人とだけ。

要は悩むほど付き合う時間もかけ来ていません。

結果的に、自分に無理をさせない選択の連続で今ここまで来たなと思います。

 

彼女たちと比べたとしても、そもそも「ある」ものが違いすぎて、比べ様がないけれど、私から見ると「ある」ものが、彼女たちの悩みの種になっていたりするなぁと感じます。

そして、あるものを手放せば良いだけと思うものを、ずっと抱えて悩んでいる様にも見えました。

私はそもそも、彼女たちの当たり前にもっているものすらないのだから悩むこともない。

本当にそれに良い悪いは無く、ただないからこそ、「私は悩んでいない」という現実があるだけ。

私に全く悩みがないかと言うと、そうではないんですが「ない」から共有はできない。

なぜ彼女たちより悩みが少ないと感じたのか

そもそも、私は悩み続ける事がすこぶる苦手なんですよね。

悩むからには、原因があり、原因があるからこそ結果がある。

それならば結果を変える、次の一手はどうするのか?

一手があるなら、その手を差すのか差さないのか?

差さないならば、どうなるかと言うと、状況は変わらない(変わるのに時間がかかる)。

だから、差す(行動する)しかない。

こんな感じで、私の思考回路は単純なのだろうと思います。

 

やった事の無いことに対して、怖さもあるし、躊躇して、先延ばしにすることもたくさんあります。

ただ、先延ばしにしても、結局自分がやらなきゃいけないハメになる事の方が多いですよね。

夫がいないと、やってくれるかもと期待する事すらない。

自分でやるしか無い。

何よりも夫が亡くなる人生なんて、やったことないの連続です。

でも、自分で決めてやらきゃ進まない事が次から次へとやってきます。

即時処理しないと、だんだんと訳がわからなくなる。

誰か代わりにやってくれる人なんていなかった。

 

こんな私だから、完璧になんてやれた事なんてなくて、そこそこでやってきてしまっています。

嫌になったり、投げ出したい時は、一時的に投げ出して寝ていました。

でも、生きてるからまぁ良いか笑、そんな感じです。

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