次男への想い、独り言

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<この記事を書いた人>

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新年度になりましたね。

次男は友達を作るんだ!と意気込んでいましたが、苦戦中。

友達と言える子はできていないようです。


まぁ、わたしも相当の人見知りで、学校というものがとても苦手でした。

趣味もなにも分からない、ただ偶然、同じ年に生まれ、近くに住み、誰かにシャッフルされ、同じ箱の中に入れられた人と仲良くなりなさいと言われる。

仲がいいのはいいことですが、それが苦手な私は、そうはいってもどうすればいいのか良くわからない。

キャーキャーテンションを上げることがどうも苦手で、いつも冷静にクールにいる自分でした。

でも、友達がいたら、それは楽しいのも確かです。

その偶然入れられた箱の中で、ご縁がある人がひとりでもいてくれたらそれは本当に大きな宝だなと思います。

 

子供のころは縁とか、一期一会の素晴らしさなんてよくわかりませんでした。

なぜこの人と偶然でもであったのだろう?

この人はどういうことを大切にしているのかしら?と、今では人に興味津々な私です。

だから、人の話を聴くことはとても好きですし、人付き合いは格段に楽になりました。

 

若いころは、自分を受けいれてもらえるだろうか?そんな不安がたくさんあって、そこに拒絶されたらどうしよう・・・という思いも付随して、どうしていいか分からなくなって身動きができなくなっていたんだろうな。

 


今は、仕事の時間が自分の中心。

ママの時間は極力短く、と思っています。

だから、ママ友はたくさんいる事に重きを置いておりません。

そうやって、自分の人生に限りがあると思えば、優先順が付いてきて、そのなかで精査できるようになってくるように思います。

そもそも意気込むことをしなければ、期待をしなければ傷つくこともありません。

親友とは、その学生時代で絶対に決まるかというと、それは絶対ではなく、学校を離れた後に、それこそご縁に引っ張られて、偶然が重なり、会うことになりその過程で、偶然わたしと友達の人生の修羅場だったり、重要な時間にいてくれたり、逆にいなかったりがあって成熟してきました。

誰かが決めた大勢いる箱の中で、ひとりでいる事はとても苦しいかもしれません。

そこが苦しすぎたら、離れればいいんですよね。

まぁ、自分と向き合って、自分が乗り越えるべき壁みたいなものは、どこへ行っても顔を出します。

だから、結局向き合うべきは自分なんですよね?

 


お母さん、僕に友達出来ると思う?と聞いてきた次男。

 

絶対できるでしょ、できた経験があるんだから。

 

そんなことを話していたら、別のクラスの友達とディズニー行くかも、としばらくたってから話していました。

 

今日は徒然、独り言です。

蛙の子は蛙なのかなと思いますが。

 

なんだか自分を見ているようで、きっとざわざわしているのだと思います。

 

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