死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。
「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。
保育園での私の顔は「お母さん」。
その対外的なお母さんという顔が私にはかなりしんどい時間でした。
保育園劣等生ママ生活
保育園入園した後、「母としての私」も始まります。
右も左も、ママ友すらいませんから、とにかく行事は全て出なければと、また頑張るエンジンがかかります。
まず保護者会。
保護者会でも自己紹介。
自分の名前と子供の名前「初めてのことで、よくわからない」的なこと言うだけで済んだし、保護者会は一方的に先生が話をする場なので、楽でした。
ただ、会が終わると、なんとなく私を覚えてくれているママさん同士が話しかけてきて、私も初めて入園させるママさんから「うちも初めてなんですよ、よろしく」なんて話しかけてくださる方もいました。
私は作り笑顔をするので精一杯で、さっさと家に帰ったように記憶しています。
しかし、「いかんいかん、子供のために頑張らなきゃ」とその時は思いました。
だから、私はお休日に開催された懇親会に参加します。
そこは、パパの参加率がとても高く、夫婦揃っているところはもちろん夫婦で自己紹介をしていました。
保育園ですから、ママさんは皆さん立派なお仕事をしているし、パパさんと笑顔で自己紹介をし合っている姿が苦しくて仕方なかったです。
かたや私は、パパを亡くした無職の職業訓練生。
虚しさ、情けなさ、居心地の悪さマックス。
パパがいないことすら言えませんでした。
泣かずに居ただけでもあの時の自分を褒めてあげたいです。
そんな感じで私は、保育園では劣等感の塊でした。
みんなが普通の家族で、普通に笑顔でいること、それが眩しくて苦しかった。
これは、私個人の問題で、周りの人は関係ないことだとわかっているのに、そこにいるだけで辛かったです。
皆さんが幸せ…いや、普通にしていればいるほど、私は苦しくて仕方ない。
それを考えると、母親として失格のような気持ちになり、さらに落ち込む、私にとって保育園はそんな場所でした。
普通は当たり前じゃなく、尊いもの。
それを感じざるをえない日々。
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