「不快が当たり前」から抜け出す
死別をした後、不快は当たり前になっていませんか?
不快が当たり前になると、不快を寄せ付けます。
不快を不快と感じなくなることは危険です。
不快を不快だ!と、むしろ大泣きするとか、「不快」と口にして吐き出す方が良いのではないかなと思います。
それを受け止められる人(私のようなカウンセラー)はいますから、そう言う人に最初は不快を訴えた方が、不快から距離をおくスピードが速くなります。
逆に受け止めら得ない人に訴え続けると、急にお手上げされて逃げ出され、余計に傷つく場合もあるかもしれません。
それを見せてはダメとか、ダメすぎて感じないようにしていくと自分に溜め込むだけになりますので、自然に自分の状態を話せる場を見つけておきましょう。
不快を不快と感じてください。
悲しい、寂しい、怒りもあって当たり前です。
不快を当たり前にせず「違和感」を覚えることが正解です。
自分を愛でることで前を向くことができます
不快を「違和感」と認識すると、自分のことを構いたくなる時がきます。
ゆっくりとお風呂に入ってみようかなとか、朝起きたら顔を洗ってみようかなとか(私はこのレベルでした)、そんなことを思うことは、不快を不快と感じられている証拠です。
そこを感じられるようになったら、些細なことで良いので、自分のことを愛でることをやっていきましょう。
せっかくならお風呂に入る時に、自分の体をゆっくり隅々まで愛でるように洗うとか。
日々の生活を「とりあえず」で済ませているような些細なことを、少し自分を気にかける時間にしていきましょう。
不快を快に変えていくことで、「気持ち良い」と感じることが大事です。
それを感じられるようになったら、欲が出てきます。
つまり「幸せになりたい」と言う気持ちが出てきたと言うことです。
例えば、もっと香りの良いボディソープを使いたいとかね、そうやって徐々に自分の不快を排除していくシステムが発動しますよ。
幸せになることに戸惑うなら
次の段階に進む時に、「良いのだろうか?」と戸惑う方がいます。
美容院に行って良いのかな?と悩んだり、この服買って良いのかな?とか思ったり。
クライアントさんでもたくさんいます。
大抵そう言う人は、経済観念がしっかりしています。
というか、自分に制限をかけていたりします。
ですから、まず買ってみようとご提案します。
その後写真を送っていただいたり、その時の感覚をシェアします。
夫を亡くした後は、自分を制御している場合があります。
自分を喜ばせることに罪悪感を持つこともありますし、シェアできる夫がいなくなったので、虚しさを募らせることがあるからです。
でも、まずやってみる。
やってみたら、良かったと言う人ばかりです。
案外夫でない人とシェアしても楽しかったと気がつくきます。
更に自分が楽しいと思えばそれでO Kと気がつくことさえあります。
自力で不快を快に変えていくプロセスを身に付けて、どんどん不快を快に変えていき、前に進みましょう!
自分を許可してあげてください。
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