幸せになりたいと思っていい!
死別して3回忌を迎えたクライアントさんが、子供と自分の幸せを考えるようになったとおっしゃっていました。
それを思えるのはとても素晴らしいことで、自然なことです。
そこまで行き着くには、もう十分苦しんだから。
十分苦しんだと自分が納得できるくらい、苦しんだから、この状態を「もういいか」と手放す準備ができました。
だから、苦しんだり、悲しんだり、泣く日々は無駄ではありません。
自分が納得できるくらい悲しめば、自然と「もう必要なし」と思えるものです。
周りからいくら「亡くなった旦那さんが幸せを望んでいるよ」と言われても、自分が悲しい時は、悲しいのです。
頭では分かっていても、心がついていかない、そんな時は自分の心に従って悲しめば良いですね。
それが自分の心と一致している状態で、無理していないから、それが正解。
この上なく辛い日々かもしれませんが、きっと幸せにな繋がる日々なのです。
幸せになりたいと決めたら
幸せになりたいと思えば、そこに従えば良いです。
悲しいとか寂しいが日常になっていた日々を、軌道修正するわけですから、そこはエネルギーが必要です。
悲しい日常から、幸せを模索して、それを強い言葉で言えば「勝ち取っていく」日々に変わります。
自然にわきおこっていた悲しみを、幸せを探して拾っていく日々にシフトしていかなければいけません。
幸せって一体なんだったっけ?と幸せな自分を忘れてしまっているかもしれません。
幸せをいざ考えたときに、「ああ、そうだ、夫があんなことをしてくれた、あの時だったなぁ」と回想するとまた悲しいに引っ張られます。
それはそれで否定しない。
夫がしてくれた何が嬉しいと感じたのか、自分はどんなことが好きだったか、どんなふうに声をかけてくれたら勇気が出たのか…と夫ではなく、「自分が」何に反応して幸せを感じやすいタイプかを思い出してください。
夫と過ごした日々は、もう元に戻れないただの悲しい思い出ではありません。
あなたが何に幸せを感じるか教えてもらった大切な経験です。
幸せになりたいなら、貪欲に自分というものを知って愛せば良いのです。
夫以上に愛してくれる人はいないと思わないで、自分が夫より自分を愛せば良いではないですか。
幸せな日々を過ごせていた私だもの。幸せになれないなんてことはない!くらいにドーンと構えたら良いですね。
全ては経験の上にある
夫と過ごした愛おしい経験も、夫と死別した後の悲しい経験も、全ての経験が今のあなたを作っています。
経験を否定する必要はありません。
それをしてしまったら、今の自分の一部を否定してしまうことになるではないですか。
自分を肯定して、自分を受け入れて、自分を愛してくれた夫が大好きだったのですよね?
人は自分を受け入れてくれる人いると、強くなれます。
夫はそうしてくれていたのなら、夫をお手本にして自分にしてみてください。
幸せになっていい。
諦める必要もありません。
幸せになりたいとふと思う瞬間があれば、捕まえて離してはいけません。
幸せになって良いのですよ。
いくら好きな人が苦しんでいた姿を見たとしても、「幸せになってはいけない」と紐付ける必要はありません。
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