離別シングルマザー 、死別シングルマザー

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<この記事を書いた人>

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本当に隣の芝は青く見えるもの。

当時動き出し始めた私は、様々な「シングルマザー」イベントに参加しました。

もちろんそこに参加されているのは「離別」シングルマザー の皆さんです。

(かつて死別シンママと会ったのは、たった一人です。)

まだ、心も中途半端な時に、私は、ひとり親として生きている彼女たちに何かヒントをもらいたかったんだと思います。

でも、そこに行けば、劣等感に見舞われるわけです。

私は、予期せず夫が突然なくなりました。

私は何も選択していない、と言うか選択の余地もなく、ひとり親に、ある意味「させられた」と思っていました。

だから、

この人たちって自分の人生を自分で決断して離婚したんだな。

すごいなー

って。

それこそ「私にはできない」と思っていたんですね。

自分が言われた嫌だったことを、私は心の中でつぶやいていたわけです。

私こそが離別の人たちを一括りにして、それと対比していました。

自分の「不幸」やダメな人生、ダメな自分を作ろうと躍起になっていたのかもしれません。

自暴自棄ってやつです。

でも、

私は友達に離婚したことすら言えないんです…

と、とても不安そうにしていた人がいたのです。

それは

あれ?思っていたのと違うぞ

と思った瞬間でした。

そして今、お仕事でたくさんの離別の方と関わらせていただき、今までの自分の勝手な「離婚」のイメージとは違うことをたくさん思い知らされています。

それこそ、一人ひとり違うし、一人ひとり乗り越えようとしていらっしゃる。

それはそれで、一括りではなく、個々の人生を尊重する。

でも、世間と言うものをまた一括りに考える(笑)と、とかく私たちは「かわいそう」と言われがちだし、なんとなく離別のシングルマザー より「お金あるから良いよね」みたいに思われがちです。

でも、そう一括りには行きませんよね。

私みたいに「かわいそう」扱いをされると傷つく(?)抵抗すると言うのが正しいかな、そう言う人もいれば、それを優しさと受け取る人だっている。

お金の価値観だって違うのにね。

悩みは共通している部分もあるけれど、「同じ」ではないのです。

それをかつての私みたいに自分の思い込み、主観だけで突き進むと、自分も相手も嫌な気持ちになるのかなと思ったのです。

だから、ちょっとだけ相手に敬意をもって、「知ろう」とすると案外自分が楽になれたりします。

その前に、私たちはたくさんそう言う心ない言葉で傷つくんですけどね。

せめて自分だけは、そうなりたくない。

なかなか難しいです。

でも、だからと言ってやらないのも違う。

せめて自分の意識だけは違っていたいと思います。

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