死別した後の妬みの感情の処理について

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<この記事を書いた人>

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なぜ自分だけ?

夫を亡くした後、目の前の光景が全て白黒映像になったような感覚でした。

全て無感覚。面白い、楽しい、嬉しい、はなく、食べ物の味がせず、美味しいすらない。

でも、不思議と負の感情だけが残り、主人に対する怒りも去ることながら、のほほんと生きている様に見える人の悪気ない言動にすら怒りの感情…という生易しいものではなく、なぜかわからない殺意すら湧いていました。

さっきまで、私はその幸せな世界にいたのに、私だけ違う世界に放り込まれてしまった戸惑い、不安、恐怖のような感情。

世の中にはもっともっと悪ことをしている人だっているではないか、なぜ私(夫)なのだという理不尽さを感じざるを得ませんでした。

ですから、現状を受け入れ難い抵抗感が生まれて当然です。

だから、自分が歪んでしまったのではないか?自分は嫌な人間なのではないか?と自分を責めることは止めてください。

世の中は平等と言ったりもしますが、私はそうは思いません。

不公平だし、不平等、理不尽さのオンパレードです。

まずは、不平等で理不尽な世界に生きているということを認識しましょう。

安心安全な場所での自分

自分が夫にいてほしいと強く思う感情フィルターで物事を見ると、夫がいる人の仲睦まじさや喧嘩のエピソードすら拾い、全てが妬みに変わります。

でも、どうでしょう。

自分のことを理解してくれている友人の夫婦の話は聴けたりしませんか?

それは、自分の現状を理解してくれているという安心感があり、夫がいてもいなくても自分自身を受け入れてくれるし、自分も相手のことを全面的に受け入れられるからです。

バランスが取れていますね。

全面的に受け入れてくれていたのが夫だけだった場合、夫の死後そのバランスが崩れます。

どこかに自分の安心安全な場を持ちましょう。

それは多ければ多いほど、分散されます。

親、友達、趣味の知人、なんでもいいです。

自分が受け入れられてもらえている安心感を持てる場所を見つけてください。

人との関わりが面倒な場合

私は人との関わりがとても苦手で苦痛な人間でした。

ですから、1対1のカウンセリングが性に合っていました。

人と関わること自体、死別後間もない時は苦しいかもしれません。

そういう場合は、個別のカウンセリングや相談など、少人数から始めるというのも一つの道です。

受け入れるべきものは

カウンセリング、コミュニティよりも、もっと大事なことは「自分を受け入れる」ということです。

自分の居場所はいつでも自分の中にあるということを受け入れることです。

理不尽な世の中であることや、それに傷ついている自分を全て受け入れ、どんな自分でも価値ある自分として受け入れていますか?

自分で自分をジャッジしない、条件付きで良し悪しをつけないということ。

こんな私ってダメだなとか、相手に死んでしまえと思う自分はダメだなとか自分で判断しないことです。

まず、「そんなに傷ついているから、理不尽さに耐えられないよね、わかるわかる」と自分に声をかけましょう。

それができていないと、コミュニティに入ったときに、ひょんな時に傷つきます。

コミュニティに自立して所属していることと、依存してしまうことは違います。

依存したり振り回されるくらいなら、一人で自分を受け入れる時間に使う方が有効です。

自分が満たされれば、妬む気持ちは和らぎます。

そういう意味でも、カウンセリングはその受け入れ作業の手助けになります。

まずは、どんな自分でも受け入れていきましょう。

 

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