子供の学校の課題で、「自分史」の作成と言う課題がありました。
まだ小学2年生なのに、自分史です。
親にその頃の話を聞いてくることと、その頃の思い出の品があれば持ってくる課題が出されました。
私にとって、こういう課題が一番難しいのです。
なんせ自分のことで精一杯だったから、記憶がない。
子供には本当に申し訳ないのだけど、ある時期から本当に思い出せなくなっています。
思い出の品といえど、基本的に使わないものは持たない主義なので捨ててしまっています。
やっと見つけたのは、今でもたまに読んでいる電車の絵本1冊だけでした。
当時、保育園のお迎えは母がしてくれていました。
次男を背負い、長男と手をつなぎ歩いて帰っていたそうです。
長男はこの課題を私に聞くことを諦め、母に電話をして、楽しそうに思い出を書き出していました。
少し母と思い出話をする長男に寂しさを感じた部分も否めません。
でも、長男はそうやって私以外の人と思い出を育み、人を信頼する経験を積んだのだと安心しました。
私は、当時のことを思い出すそうとすると、なんだか心の隅がチクンとして、蓋を開けられない部分があるようです。
当時のことを完全に受け入れている、と自分では確信しています。
でも私の中にパンドラの箱が本当はあるのかもしれません。
無理してこじ開けるつもりもないし、今のままでいいと思います。
今、幸せだから。
無理をしない。
人はそうやって、忘れることで生きていけるように出来きているのかもしれません。
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