死別の悲しさとか苦しさを乗り越えるには、諦めることが必要です。
先日のオンライン飲み会でも、いい意味で諦められるようになってきたと、それが周りにはあまり理解をしてもらえないとおっしゃっている方がいました。
この経験も、周りに理解を期待すること自体を諦めるスタートでもあります。
理解してもらうというのも、何を持ってして理解してもらったと感じられるか考える。
基本的なこちらの前提として、
「あなたは大切だったパートナーを亡くした経験もないくせに(あえて、「くせに」と表現します。私がそう思っていたから・笑)、何わかったようなこと言っているの?」
と思っていたら、そもそも理解してもらえる人や環境はなかなか現れにくいです。
自分の前提自体を変える方が早いし、私のように死別の人と出会うという行動をした方が理解(共感)を得られると言う意味では、手取り早いです。
基本的にわかってもらえるわけがないと自分で思っているのであれば、わかってもらうことに労力を使うことはありません。
それが諦めるということなのかもしれません。
そういう人に死んだ人は還ってこないのだから、前向きに子供のために生きなきゃと言われた場合、それこそわかってもらえない上に、知ったようなことを言われて、怒りすら湧くかもしれません。
エネルギーの消耗ですね。
でも死別して前を向いて生きる事は、ある意味それが真理です。
亡くなった人は還ってこない。
だから諦めて、自分の人生を生きる。
これを誰に言われるか?
どんなタイミングで言われるか?
それをどんな形で受け取るか?
それによって、自分が前向きに諦める、つまりは前を向いて進んでいくスピードは変わっていくでしょう。
諦め方も前向きか、後ろ向きか?それは自分の勝手な判断なのだから、どうせなら前向きに諦めているのよ、ふふんと心の中で思って毅然としていればいいのです。
わからない人は、わからない世界で生きています。
私たちは、わかる世界で生きています。
そこの理解を埋めるって、難しいし、しなければいけないことなのかしら?
逆も然りで、私たちは目の前の死別の苦しさを知らない人がわかっていることを理解しているのか?理解しようと努力しているのか?
まぁお互い様ってことです。
だから、諦めていいし、もっと緩やかに捉えればいい。
時に諦めた思いを、引っ張り出してきて、諦められないと泣く時間をとったっていいじゃないですか。
それくらい、諦めもきっぱりいかないことだってある。
それすら白黒つける必要ないです。
前向きに諦める、っていう私の捉え方。
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