カウンセリング体験

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<この記事を書いた人>

産業カウンセラーの勉強の一環として、カウンセリング体験がありました。

プロの先生に2回ほど、割安でカウンセリングを受けられるというもの。

死別当時の私は、友達からメンタル系の病院を勧められたりしましたが、行く勇気がなかった。

若かりし頃、職も男も失い(苦笑)凹みに凹んでいる時、両親に「カウンセリングに行きたい」と申し出たことがありました。

両親は驚いて、許可を得ることができなかった(許可を得ることもないのですが)のです。

(もしかしたら、親を試していたのかもしれないですね。)

その上父は私を心配して、私をウォーキングに誘い「黙々と歩く」という、なんとも言葉にし難い優しさを示してくれたのです。

そこで私は、この程度の悲しみじゃ利用できないんだな思い、カウンセリングというハードルをものすごく上げてしまったんだと思います。

 

それが経験できるなんて!

私は即申込み、何年かの想いを晴らすべくカウセリングの世界に(クライアントとして、ですが)入り始めたのです。

 

一人目の先生。

私と同じくらいか、少しだけ年上のお嬢様タイプの女性でした。

 

最初はね、良いんですよ、正直に黙って話しを聴いてくれたら。

誰でも良いんです。

今まで溜め込んだ、まあ便秘を解消するだけですから、トイレはどのトイレでも良い、みたいな感じですか(例えが悪すぎますかね)。

 

その後は完全に相性です。

 

初回、私は堰を切ったように話しました、すっきりもしました。

先生に感謝の気持ちも湧いてきました。

 

そこで、先生の一言。

私にとってあなたのご経験は衝撃でした。

その一言に、この人は分かってくれないと感じ、早々と私は店仕舞い。

あぁ、私の経験を特別視して、あなたは大変でしたね、辛かったねという良いカウンセラーと見せたいと思っていませんか?

と思いました。

それきり、私はその先生とお会いしていません。

「私はずっと幸せで来たから、あなたの気持ちがわかりません」と言われているように感じました。

私の心も相当ひねくれていたんですね。

私の最初のカウンセリング体験はこうして幕を閉じたのです。

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