死を考える

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<この記事を書いた人>

毎日が当たり前のように過ぎていきます。

昨日も今日も変わらない。

そう考える人は多いでしょう。

私もそのマジックに引っかかる時があります。

でも、そうではありません。

世の中いろいろ不平等ですが、いつか必ず死がやってくる、それだけは平等なのかなと思います。

どこか遠い、自分とは関係のないような存在として、認識すらしていなかったのかもしれません。

しかし私は、夫を亡くして、死は遠い存在ではなく誰にでもやってくるものだと痛感しました。

 

死を考えると怖いでしょうか。

死ぬのが怖いと感じるのは、なぜでしょう?

それは、自分の生き方で、やり残しがあるからではないでしょうか?

 

大事な夢は老後にとっておきますか?

色々皆さん事情がおありなのだと思います。

なので、夢は「今」できない、と。

でも、誰があなたに老後の約束をしたのでしょうか?

神様と約束済みですか?その契約書を手元に持っているのでしょうか?

 

とても失礼ですが、老後が来るとは限りません。

だからこそ、自分でその老後を司る「今」できることを探しませんか?

 

老後ゆっくり海外に移住したい。

ならば、お休みの日にそのセミナーに参加する、とか?

 

そもそも、老後にしたいことをするためには健康でいることが第一ですよね。

心も体も健康が前提で、夢を思い描いていることでしょう。

 

今度のお休みは、そのためにも頑張らず1日家から出ずに「何もしない」がとても大事なことなのかもしれません。

それを悪いことのように感じる必要はありません。

 

ただ、同じように過ぎている日常であっても、そうやって意識を持って生きることができたら、少しずつ毎日が変わっていきます。

 

死を考えるということは、生を考えること。

怖がらないで。

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