自分の環境は作れる・情報との付き合い方

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情報が遮断された日

昨日は大きな地震がありました。
怖かったですね。
私のエリアは停電があり、ネットは繋がっていましたが、情報はやや遮断状態。
それも怖さの一つにはなるなと思いました。
ただ自分の体感として、夜だし、停電だし、もう余震もなさそうだし、寝るしかないと寝てしまいました。
3.11の時は引っ越してきたばかりで、テレビが届いておらず、しばらくは世の中で何が起きているのかもわからずにいました。
情報は大事です。
身を守るためにも大事。
でも、知らないなら知らないで安心する場合もある。
地震がおさまった。良かったと。
地震でいえば、その後予測される情報は身に起こる危険回避のために必要ですね。
でも、必要以上に情報を入れる必要があるのか?
恐ろしい情報、悲しくなる情報をどんどんどんどん自分で拾い集める癖が自分に無いかを確認する良い機会になるのではないかなと思いました。
普段の生活でも、自分を落ち込ませたり、怒りを発動させるような情報をあえて自分で拾い集めていないか?
逆に、自分から感情を大きくするような情報を発信していないか?確認してみましょう。

自分の環境はある程度作れます

自分が穏やかにいたいと望むなら、少し情報から距離を置くことが必要な時もあるかもしれません。
自分がどういう状態でいたか、その望む状態に繋がっている行動をしているのか考えてみるいい機会になるのかなと。
情報を発信する側の意図だってありますからね。
コロナの時もそうだし、今の戦争もそう。
それだけではなく、自分の「死別」に関してもそう。
自分がどういう状態を望むのか?それに伴った情報収集もしくは発信をしているのか。
今の状況が望むべき状態ではないなら、自分が拾い集めているものが違っているのかもしれません。
発信に関しては、感情を出すことが我慢するよりいい時もある。
それを無作為にするのか、自分が信頼できる人にするのか。
それに関していい悪いはないですが、自分に見合ったやり方がきっとあると思います。
最近、情報過多で疲れたという友達から連絡がありました。
かなり自分から情報を集めているタイプの人。
そこに共感してもらえる環境がきっとあれば、少しは疲れないかもね、なんて話をしました。
情報を入れたら、その後自分の気持ちを共感してもらえたり、穏やかになるその先の場所があるといいのかもしれませんね。
消化不良にならない、距離の取り方がありますね。

 

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