贅沢な悩みだとしても。

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<この記事を書いた人>

子供と3人だけの、はじめての旅行は北海道でした。二人とも保育園の時。しかも電車好きの長男のために陸路で行きました。トラブルも多かったけど、行って良かった。また、心置きなく旅行がしたいな…。

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「自分は恵まれている」と言う事に囚われ過ぎていませんか

毎日暑いですね。
皆さま夏バテなどしていないでしょうか?
今、私の周りは、とかく心がお疲れの状態の人が多いです。
心の疲れって、目に見えないから貯めがちです。
日々ずっと溜め込んでしまうと、それを出し切るのに時間がかかります。
私は定期的に吐き出す場所、人がいると自覚しています。
こうして自分の考えたこと、感じたことを文章化する事で頭をスッキリさせるとこもできています。
でも、そう言うことが苦手だったり、「自分は恵まれている」と言う事に囚われ過ぎて、自分の悩みを「贅沢な悩み」と意味付けて、悩む自分を否定していると、苦しいだろうと思うのです。
なぜなら、それは完全に他人の基準に合わせようとしているからです。
自分は恵まれていると幾ら思ったところで、悩みは悩みなんです。
恵まれている基準に合わない自分が、自分の幸せのあるところ。
だから、そもそも論で言うと、自分の基準の見直しから始めないと解決しないのかもしれません。
そうなるとやっぱり、自分を見つめ直さないといけない。

人って実は自分を知る事が、結構怖いのかもしれません。

だから、自分自身や環境を否定しては、悩みの根本から逸れていくような気がします。
私が偉そうに、どうこう言う立場ではないですが、自分の心地よさ、とか、自分の幸せとはなんなのか?を探ってみるのも手です。
それは今の悩み、つまりは今の不快ポイントの逆を考えれば自ずと見えるのかもしれません。
それが「今」の自分の目指すべき場所で、そこがわかればどう行くのか、今そこに向かう時なのか、後回しするのか、何かしらの手立てが見えると思うのです。
わたしには無理!
と言うのは簡単です。
ただ、「今の私」に無理、となると少し話が変わってくる。
なんで今の自分には無理なのか、いつなら動けるのか、それが分かれば気持ちが軽くなる場合もあるから。
どうしたって立ち向かわなければいけない、なんてそんなハードな人生が正しい訳でもない。
時には休んだり、逃げたって良いんですよ。
私は恵まれている。
それを認めるのは素敵です。
プラスの部分がある、感謝も感じられるのだから。
でも、心はマイナス。
不足しているのです。
それを訴える彼女は、色々話しているうちに、今はやる気も起きない、疲れたと言っていました。
それなら休めば良い。
とにかく休める時に休んで、頭が回りだしたら考えれば良いだけなんです。
彼女はもうすぐ誕生日。
私のお気に入りのレストランで、ご飯でも食べようと誘いました。
それには喜んで
行く!
と言うのだから、自分の快も、本能的に分かっているんです。
急ぐ必要はない。
ただ、人の基準に合わせようとする事から少し離れてみたら良いのです。
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