悲しさを味わうことと、落ち込むことは違います。

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<この記事を書いた人>

これからの時期はゴーヤチャンプルー!沖縄出身の大親友の影響で、私は沖縄料理が大好き。私に会ったことがある人に念の為お伝えしておきますが、私は沖縄出身ではなくチャキチャキの江戸っ子です。沖縄の人によく間違われます(笑)。

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隔週で金曜はグリーフケア講座です。

先日は、3回目で半分終わりました。

オンラインながらも、定期的に会って心の内を話すので、なんとなく打ち解けてきている感じがします。

そして、その時間に話をすることを楽しみにしている自分がいます。

やっぱり定期的に自分のことを話すのは大事です。

自分の気持ちって、案外頭の中で処理しているようでいて、体の外に出さないと、ぐるぐると回るだけで、処理はできていないように思います。

自分の言葉を、例えば私のように、ブログという形で文字にすると、自分の気持ちを目で確認できます。

ノートに書き出しするのも似ていますね。

声に出すと、耳で自分の気持ち確認できます。

そうやって、頭の中から一旦出してあげる作業は本当に大事。

話していて、何かまとまらないなら、気持ちがまとまっていなくて、ごちゃごちゃなだけ。

だから、それに気がつくことだけでも大事だな、と思うのです。

あぁ、私って気持ちがぐちゃぐちゃなんだな

で良いんです。

ただ、ぐちゃぐちゃな私はだめ、に持っていかないでくださいね。

グリーフケアメンバーの一人は、死別後色々な事が忙しくて悲しんでいる暇がなかった、とおっしゃっていました。

それはなんとなく理解できます。

死後すぐにやらなければいけない手続き、片付けなければならない事は心そっちのけでてんこ盛り。

それに加えて、その人が社会や家族で色々なことを担っていたら、一旦は引き受けないとどうしようも無いこともあります。

全てを完璧にする必要は無いのですが、そういう時の精神状態ってなんだがハイになっていたりします。

あぁ、そうか、あの人がいないのだから私が代わりにしなければ!

そう使命感にも似た感覚で思うわけです。

本当に代わってやらないと、どうしようもない場合だってあります。

でも、完コピする必要は無いんですよね。

それはその人じゃないから無理。

それに気がつかず躍起になってると、できない自分に苛立ったり、落ち込んだり。

なんでこんなことしなきゃいけないんだ、

なんで自分ばっかりこんな目に合わなければいけないんだ、

なんで、なんで、なんで…

こうやって気持ちって、踏ん張ってても一気に落ちる時もあります。

そして、故人のことを悲しむことも忘れて落ち込むわけです。

そこは悲しみとは違う感情。

悲しみをきちんと味合うことができないと、また味わうように悲しさはやってきます。

私は結構正直者というか、単純なんですよね。

だから、素直に悲しみました。

悲しみを味わいまくって、落ちるところまで落ちましたら。

だから、それが良かったと今は思います。

体調が悪くて、ちょっと無理してこじらせるのと似ているのかも知れません。

私の受けているグリーフケアや、カウンセリング、その他色々な団体がそういう場を提供しています。

私のお茶会もそう(ちゃっかり宣伝)。

こればっかりは相性で、当たり外れもあるでしょう。

だけどなんらかの形で、吐き出せると良いなぁと思っています。

とにかく、自分の感情に無視や避けるのは、よくないなと。

私の肌感覚で言うと先延ばしなだけです。

必ずツケが回ってくる。

辛いこと、泣くことは格好悪いことでも、みっともないことではないですよね。

ただの自然な反応です。

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