殺伐とした満員電車で見つけた幸せの種

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<この記事を書いた人>

朝から電車遅延に巻き込まれました。
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殺伐としているからこそ

今朝は絶対穴の開けられない仕事があったので、必死で会社に向かいました。
久しぶりにぎゅうぎゅうの満員電車に乗り、私も焦って気が立っていました。
でも電車の中は、あまりに殺伐とした空気感が漂っていたので(汗)、逆に気持ちが冷静になりました。
かつては毎朝こうして満員電車に揺られていたなぁと。
今までの私の日常、通常がこんなにも変わってしまったとしみじみ思いました。
当時は、それに文句も言わず、当たり前のように毎日毎日を過ごしていて、その中でも小さな幸せを一生懸命見つけながらやっていたなとか、その時間をどう有意義な時間にしようかと必死で考えていたなぁと思い返し、ぎゅうぎゅうになる中でほんわかした気持ちになりました。
あの時は、辛い中でも少しでも幸せの種を拾おうと必死になっていました。
それを拾い集めることで、私は前に進めるんだという自信を少しずつつけることができたのです。
自信をつけていけば、自分が自分の背中を押すことができますからね。
そんな自分を好きになれたら、そんな人生も捨てたもんじゃない。
周りの空気が殺伐としてようと、自分はどこでも幸せを感じられるし、ほんわかすることだってできる。
飲み込まれない自分の境界線、バリアみたいなものはいつでもどこでも作れるもんだなと久しぶりに人と密になった環境で思いました。
そっか、幸せの種って拾い集めるのではなく、自分の手の中にあるものなのかもしれない、と。

気持ちは自分でコントロールできるもの

もちろん、電車の中で涙がコントロールできず涙が溢れたこともあります。
だから、我慢をするとは違って、自分の運転次第で、どこへでもいけるということです。
スピリチュアル的に言えば、本当に肉体は借り物ですからね。
それをどう魂である私たちが、コントロールして、いつか夫が行ってしまったところにどう楽しみながら行くことができるのか?
それを考えて動かしていくっていうのもいいのではないかな?
それは本当に悲しく寂しいことなのか?
自分が悲しく寂しいことにしているのか?
それを少し引いてみて、判断きたら、少し自由になれるかもしれませんね。
とはいうものの、最近、遅延に当たりすぎの私(笑)。
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