死別して人に優しくできないと思う人へ。

スポンサーリンク

<この記事を書いた人>

出勤した日、代表からメロンパンの差し入れをいただき、子供にお土産もいただきました。今日はみんながニコニコの朝食です。

スポンサーリンク

ゆとりのある人生を

自分が人に優しくできている時って、どんな時ですか?

身近な例えだと、子供に優しくできている時とできていない時。

その時の自分には何があって、何が足りていなのか?

もしくは、キラキラして見える人って何がある様に見えますか?

先日、時間に余裕を持って出勤しました。

駅のホームで髪の毛を乱しながら走ってきた女性とぶつかりそうになり、

邪魔なんだよ!このブス!

と言われました。

唖然…(笑)。

誰もが振り返るような美人ではないけれど(汗)、それなりに気遣いはしています。

そもそも私の顔を見もしないで言っているよね?と心の中でツッコミ(笑)。

相当パニックな朝を過ごしたんだろうなぁ、と想像してしまいました。

逆にゆとりのある人って、穏やかで人への気遣いも素晴らしい。

まずはひとつづず

死別当初は、何もかもに満たされていないような感覚がありました。

夫がいなくて、心に余裕がないから人を妬む。

仕事もなくて金銭的な余裕もなかったし、乳飲児を抱えて時間にも追われていました。

でも、何か一つを解決すればば、それに引っ張られるように少しずつ余裕というものが生まれるものです。

死別当初は手続き等に追われて、ひっちゃかめっちゃか。

時間にとにかく余裕がなかった。

しかし、手続き等を終えれば、時間が生まれます。

仕事を長期的に考える事ができました。

仕事をすれば、金銭的な余裕が生まれます。

色々な事に目処が立ち、ゆとりが出てくるのです。

その余白に、何を埋めるか?

この質も考えたいところ。

お腹が空いたら、袋菓子を詰め込むのか?

自分の好きな食事をゆっくり味わっていただくのか?みたいな感じです。

埋めたら、埋め尽くさないで、余白を残しておくことも忘れずに。

腹八分目です。

ぶつかりそうになった彼女に、

失礼しました。お先にどうぞ(笑顔)

くらい言える、余裕のある女性になりたいな。

パートナーを亡くした方のカウンセリング

当事者として、寄り添ったカウンセリングをいたします。

お申し込みはこちら

↓クリックして応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

コメント