だんだんと初夏の陽気になってきました。うなぎを食べたら、やっぱりパワーが出る!
カウンセラー仲間とランチを楽しみました。
なんだんだ6年近くになるお付き合い。
当時、私は死別4年目で、夫のことを話すことすら憚られていました。
一流企業の方々、外資系でバリバリ働いている人、臨床心理士を目指す学生などと一緒を勉強をしていて、私はただただ居た堪れなさを感じ、毎週足を運ぶだけで精一杯でした。
それが、そのうち話をしたり勉強を共にし、私を受け入れてくださり、自信がついてゆきました。
その時はただ「自分を客観的にみるため」だけが勉強の目的だったのに、私はカウンセリングの素晴らしさを知り、今となってはそれをクライアントさんと共有させていたいています。
人生どこに出会いがあるかわかりません。
死別を考える
ランチをした彼は(と言っても60代の人生の大先輩です)死別した方の相談も受けているということで、参考までに私と話がしたいと会うことになりました。
自分のモノサシと、相手のモノサシは違うし、それが良いとが間違っているとかはありません。
ただ、何故今悲しいのか、何故今もなお悲しみから抜けられないのか?
それは夫との死が原因なのか、それとも子供のパパがいないということが悲しいのか?仕事で嫌なことがあって、悲しいのか?
それを総じて夫の死を原因として「悲しい」と感じているのか?
実は全然悲しい原因が違うのに、「夫を亡くしたから」が強すぎて、その原因を夫に求めていないか?
彼は会社の人事という立場の人。
仕事を絡めた相談を受けている彼の視点は新しく、私も多くの気づきを得ました。
特別感の意味合い
パートナーを亡くすって衝撃。
しかも若くして亡くして、周りを見渡したらすぐに会えるかというと、その確率はかなり低いですよね。
約120万世帯の母子家庭のうち、死別母子家が約8%。
だから共感できる場も少ないし、結果的にその経験を得られていない人がたくさんいるのかもしれません。
だからって、そういう人と会えば満たされるかというと、それもそういう人もいれば、そうでもない人もいる。
経験している人でないとわかってもらえないか?というと、そうじゃない人と分かり合えることだってあります。
だから、私たちは「死別したことが特別である」という強固な鎧をつけすぎないで良いのかなと思います。
平気で弱っている人を傷つける人もたくさんいるのも事実。
だから、ある程度防御する術は必要。
結局は死別が特別「過ぎる」経験だと私たち側が思えば思うほど、自分辛さを複雑化させているのではないかな?と思ったのです。
本当は会社での人間関係で傷ついているのに、夫を絡ませそのせいで辛いと思う。
一生懸命わかろうとしてくれている人に「分かってもらえない。もらえるはずがない。」と決め過ぎると、せっかくの出会いや立ち直りのチャンスをみすみす逃してしまい兼ねません。
かく言う私は、こじらせ女子代表でした。
そんな私だったから、もし今とても辛いと感じている人が読んでくださっているなら、その気持ちを少しだけ緩めることをお勧めします。
もっと肩の力を抜いていきましょう。
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コメント
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こんにちは!
すごい鋭い視点ですね!
確かに。
辛いことがあると、夫との事に結びつけてしまいます。
いかん、いかん、これとあれは関係ないと思うんですが、打たれ弱くなって、繰り返してしまいます。
なるほどなあって、思いました。
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>Paniel1063さん
おはようございます。
一つ一つはつながっているかもしれないけれど、切り分けることはできますね。
切り分けたら楽になることもある。
打たれ弱くもなりますよ。
繰り返しながら、少しずつきっと強くなっていますがら、そちらの自分を意識していきましょう!
コメントありがとうございました。