期待されない子育て

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<この記事を書いた人>

最近はふわふわミルクのカフェラテ多いけど、たまには牛乳多めのカフェオレもいいなぁ。母が淹れてくれたのを思い出します。

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下準備ができていた

週末、次男は実家に泊まる事が多く、長男もライングループのお友達と話をするからと、部屋に引きこもり。

昨夜は一人ゆっくりの週末。

先日言っていた、ネクタイの締め方も、友達に教えてもらったとかで、あっという間にマスターして、どんどん一人時間が増え、私の出る幕が少なくなっています。

私たち親子は基本的に上下関係という意識が少なく、私が子の人生のレールを引くことはしてきませんでした。

私自身も割と自由に育てられきました。

親にレールを敷かれている感覚が元々あまりなかったですね。

そして、夫とのお別れがあり、一人でぐいぐい引っ張って育てるには限界があり、レールを敷くなんてことをする余裕が全くなかったという、現実もあります。

だから子供たちは、自分でできることはなるべく自分でやり、やりたい事は自由にやらせてきました。

長男は電車が好きだから、週末になれば出かけていきます。

次男も友達と遊んだり家で映画を繰り返し見たり。

私も勉強をしたり。

誰かといるというより、自分が自分とどう過ごすのか?

それをそれぞれが考えてやってきたように思います。

だから、私が子供たちの手が離れていく寂しさというのはほとんどありません。

働かざるもの食うべからず

これはうちの標語のような感じ(笑)。

洗濯は私がしますが、畳むのは子供達。

夜お米を食べきったら、

明日のご飯なくなっちゃったね

と声をかけると、長男は夜のうちにお米を研いで寝ています。

最初はなんだかんだ言っていましたが、今はそれが当たり前。

お母さん、しっかりしてよ…とか平気で言うし、一緒に生活してきたから、子供の方がよっぽど私の事を分かってるんでしょうね(笑)。

子供たちは私に過大な期待はしていないだろうと思います。

何が正解かは分からないです。

ただ子供に期待されないことは寂しくもなく、気楽なものだなと感じています。

私はというと、やっぱり多少なりとも彼らには期待はしますが、「過大」にはしていません。

その期待とは、何か大物になって欲しいとかでは全く無いです。

好きなことを見つけ(それなりに見つけている)、それを楽しみ尽くして欲しいなと。

誰のために生きているのか?

私のためでもなく、自分のためですよね。

私も母親として期待に(していないと思いますが)応えるために母親をしているわけではく、私の限られた時間をいかに楽しく、生きている!って感じに過ごすかかなと思います。

誰かに期待するとか、誰かに期待されるかとかではなく、自分が自分に一番期待できたら楽しい。

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