死別シングルマザーが人生をまっとうするには。

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あの頃に戻りたいと思った日は何回あっただろう?

夫を喪った当初は、あの日に、彼がいた日に帰りたいと毎日思っていました。
それと同時に、そんな日は絶対に来ないと、あんな風に笑う自分は絶対に戻らないと絶望していました。
夢であって欲しいと思うけれど、毎日現実はやって来て、諦めるしかない、あの日々は本当に辛かった。
10年経ってみて、当たり前ですが、あの日に帰ることはできませんでした。
だけれども、それと同時に少しずつこの辛い中でも「幸せ」を拾える瞬間が出て来ます。
初めの頃はそれがあまりにも一瞬で、きっと気付かない。
それがいつしか、子供の成長とか、新しい出会いとか明確な形で「生きていて良かった」とか「あぁ幸せだなぁ」と素直に感じる時間が出て来ます。
パートナーが亡くなるということは、そこでパートナー自身もご病気だったり、亡くなる瞬間やその前後でおそらく痛みを伴った時間があります。
それをパートナーという近い関係の私たちだから、知っているし、そこに立ち合っていなかったとしても想像をすることができます。
だから、なんとなく生きていると、その感覚が変な一体感となって彼が乗り移る場合もあるでしょう。
あんなに彼は辛かったのに、私は救えなかったと思う方もいらっしゃるのではないでしょうか?
私は夫が亡くなった後に夫と対面しました。
いまだにあの瞬間は覚えています。
思い出すと胸が締め付けられる気持ちになります。
だからと言って、救えなかった自分が幸せになってはいけないとは思いません。
こんな私は幸せになっていいのかな?と思ったことはありました。
でも、夫と私は夫婦であるけれど、自立した大人同士があの時惹かれあって一緒になっただけです。
お互いがお互いの人生の責任をまっとうするならば、生き残った私たちが変に夫の人生を勝手に背負うことは違うと思うのです。
自分の人生をまっとうするのならば、幸せを感じるなら、きちんと受け取るべきだし、受け入れることこそが責任をまっとうすることだと思います。

私は私で、自分のことを幸せにできる。

あの人(パートナー)に幸せにしてもらう、というのは少々おこがましいことではないでしょうか?
それをいつまでも、彼がいないから幸せにはなれないと思うのは、亡くなった彼も少々重荷ではないかなぁと思います。
彼と出会った頃の自分ってどんな自分でしたか?
思い返してみてください。
私は、ダメダメではあったけれど、仕事にそれなりに夢を持っていた頃でした。
そして、実家を出て自立しようかな?とこっそり思っていた頃に、夫からプロポーズされました。
きっと若いなりにも魅力に溢れたあなただったのではないですか?
旦那様があなたとなら一緒に幸せになれる、と思ったあなたを思い出してみて。
あなたはあなたが幸せにできます。
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