長男が初めて描いてくれた私。足もいっぱいあるし、耳も多い(笑)。私の大好きな苺は必須。子供の絵って本当に素敵。
自責の念、ありました。
自分を責めて責めて、あんなに自分の人生を責めたり後悔した時間はなかったな。
自分があの時、ああすれば彼は生きていられたのではないか?
今という現実が何か違っていたんじゃないか?
そんな事を考える毎日。
あの時の自分は、ものすごく傷ついて、ボロボロでした。
今もなお、その「自責の念」にかられている方も多いかと思います。
責任感が強いから、きっとご自身を責めてしまっているのかなと思うのです。
今朝、なんだか、それってとてもおこがましいんじゃない?って思ったのです。
自責の念で苦しんでいる方に「おこがましい」なんてキツすぎるかもしれません。
でもね、思うんです。
その責任感ってあなただけにあるのかな?って。
子供じゃなんだから、強さは違えどそれなりに「責任感」というのも持っているはず。
だから、何でもかんでも「自分のせい」じゃないんじゃないかな?ということ。
それは、「他に責任をなすりつける」とも違います。
自分以外の人を尊重するならば、その人の責任感も含め丸ごと尊重しているはずです。
意識はしなくともね。
だから、それは生きている人だけではなく、亡くなった愛すべき人へもそう。
亡き夫を尊重する
彼には彼の「責任感」を持っていました。
それを尊重するんですよ。
その人の「責任」みたいなものもひっくるめて。
自分には自分の人生の責任があるのと同じで、彼にも彼の人生を自分で背負っていたんです。
だから、自分ばかり責めるのではなくて、考え方を変えて。
あの人はあの人の、人生の責任を負っているわけです。
彼の責任感というもの、責任という価値観は違います。
自分の責任の取り方と違うから、理解できなくて、自分を必要以上に自分を責めてしまっているのではないかな?
彼は彼で十分生きた。
精一杯生きました。
逆も然りで、あなたはあなたの人生を精一杯生きてきただけなんですよ。
彼との時間も、その時の精一杯で生きていたはず。
その彼を本当に好きであるなら、それを受け入れて、彼の負うべき責任まで、しかも歪んだ形で背負いすぎることはありません。
夫婦といえど、それぞれ個々の人間。
それぞれ、いい大人じゃないですか。
彼を本当に好きであるなら、その彼の人生、彼自身を少し「距離を置いて」尊重してください。
多分、自責の念で苦しんでいるのは、夫婦は一緒と考えたり、一体化しすぎているのではないかなと思うのです。
その真っ只中にいる方には、伝わるのは難しかも、と思っています。
そうは言っても、苦しいものは苦しい。
自分を責めてしまう。
それはそれでいいんですよ。
自然なことです。
でも、こんな風に考えている人がいて、どうやら死別しても楽そうに(精神的にね)生きているみたい・・ということをを少しでも伝えられたらいいなと思う朝でした。
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