やり残しはないのか。

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<この記事を書いた人>

兄妹で私だけ、父の入院している病院から近いので、父にふらっと会いに行ってきました。

先日、父と少し話をしたのですが、自分の両親のこと、厳しく育てられた生い立ちを話し始めました。もしかしたら、そういう人生の振り返りをするものなのかなぁと思いました。

自分の人生の期限を宣告されて、父は何を思うのだろう。

で、1日入院していると、考える時間がとてもとても沢山ある、という話になりました。

動く範囲も決まってきますから、動かないので、眠りも浅いそう。

その、夜が明ける時間がとても長く感じて、それが辛いみたいです。

で、私は、どうにも自分の人生のやり残しがないのかが気になるのです。

夫はきっとやり残しが沢山あったので、私はそれを少しでも減らしたいし、そういう思いを持った人も少しでも背中を押せたらいいなと思うのです。

で、父にもそれを聞いたんです。

やり残したことはない?って。

父は定年間近で脳梗塞を起こして、本当に死にかけているのです、あと3日宣告されました。

それがお薬が効いたおかげで復活し、リハビリを懸命にやって普段通りの生活に戻れたのです。と言っても、頭の回転が遅かったり、痺れが残ったりしました。

そこから、父の考え方、生き方は少しずつ変化しました。

まず、自分一人で自分の力だけで生きてきた、みたいな感じがなくなった。

特に母に対しては、母なしには生きていけない部分があって、おかげさま精神が芽生えました。

それと、孫の事を褒めることが増えました。

他人に理解を示そうとする気持ちが伝わるようになりました。

一度生死をさまよった人って、何か人生大きく変わったなんて話はよく聞きますがよくよく考えると、身近にいましたね。

そんな感じで、父は簡単に言うと「丸くなった」のです。

脳梗塞で倒れる前に幾つか中途半端になってた趣味があったそうなんですが、それを10年で自分の中で目標を立てたことを達成したというのです。

だから自分はやり残したことはないなっていうんですよね。

それだけいろいろ考えて、やり残しがないと言える人生、よかったなと思いました。

自分でそう納得させざるをえない部分もあるのかもしれませんが、そう言えるのは本当に子供としてよかったなと思います。

ただ、元気になって食事ができるようになって、少し遠出ができるよになったら、家族旅行をしたいなと言っていました。

父の好きなホテルに泊まりたいそうなんですよね。

それはやり残しではなく、「目標」。

手が届く、希望の持てる目標。

父は目標を立ててとことんやる抜く男です。

だから、目標あるのもいいなと思います。

やり残しがあって、あれがしたいこれがしたいと言われたら、出来る限り協力しようと思っていましたが、なんとも実直で父らしいなと思います。

父は自然に身をまかせる達観したような気持ちでいると言っていました。

本当は怖いと思います。

自分がこの世を去ることが。

本当は生きていたいよね、ついつい私は聞いてしまった。

父は黙って頷いていました。

本当は生きていたい。そうだよね。私だってそうだよ。

現に今、生きているじゃない。

それって素晴らしい。

じゃあ、何ができる?私には?父には?

生きていて何ができるんだろう?

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