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<この記事を書いた人>

私の中の永遠のテーマである「嫁と姑」。

私は、夫の生前、夫を亡くした直後、そして今を考えて、やっぱり(私だけではないですが)ちょっと特殊な嫁姑人生を歩んでいます。

夫がいない状態での嫁姑関係歴があっという間に夫がいた頃を超えてしまいました。

 

その間、姑に対する気持ちも大きく変わりました。

姑ももしかしたらそうかもしれません。

大事人を亡くした者同士ではあるものの、自分のお腹から出てきた大切な我が子を亡くした母親の気持ちは、私の想像をはるかに超えたものなのでしょう。

きっと、とても深く傷つき、悲しみ、何度も自分の命と息子の命について考えたのではないのかなと思います。

 

先日、次男の誕生会ということで、外でご飯を食べに行きました。

その時に、姑が、自分は孫にこうしてあげたい、こういう価値観を持って欲しいということを話し出しました。

その流れから、自然に夫の話になったのです。

夫もこういう風に育ってこういう子だった、というような内容。

私は、その話を聴いて、その話の内容ではなくて、「自然に息子のことを話す」姑の姿とても感動したのでした。

感動?そう、心が動くというか、嬉しい気持ちになりました。

今まで姑の口から息子(夫)の話や名前が出ることはほとんどなくて、私は正直悲しかったのです。

確かに夫は生きていたし、その人生の幕が降りるのは早かったにしろ精一杯生きたし、誇りに思うべき人なのです。

それを母親である姑の口から、孫たちに伝えて欲しいとずっと思っていたから。

それが自然な形で生前呼んでいた名前をスラっと口にした時、やっと夫も救われた、そして姑自身も救われたんじゃないかなという感覚になりました。

本当にこの関係をどうしたらいいのだろう?と思い悩んだ時期もありました。

相談すべき夫もいないですし。

そしてとても長い時間に感じていました。

ここまでぐっとこらえて、待って良かったなと心から言えます。

私以外の同じ辛い経験をして時を経てきた人が立ち直っていく姿を見るのは、とても感慨深いものです。

今まさに渦中にあって、すごく悩んでいる方。

断ち切るのも手ですが、少し距離を置くというのもいいかもしれません。

人が癒され、立ち直り生きていく姿は、実はすごく自分の生きていく上でエネルギーをもらえたりするものです。

私たちは中心となる夫(息子)はいないのだけど、なんだかんだ嫁姑として私たちなりの歴史を刻んでいます。

それは、きっと大切な人を亡くしたからこそ、お互い求めるハードルは低くて、「元気で生きてくれていれば、それでいい」ということがほとんどを占めているからかもしれません。

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