死別後、「変化」のタイミングに乗ろう

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<この記事を書いた人>

連休の合間、コメダ珈琲のモーニングに来ました。普段しないことをする、いない場所にいるだけでも、気持ちがリフレッシュします。

変わらない環境で仕事をする事は、安定しているし、色々と仕事をしやすい環境が整っているので、ある意味余計な頭は使わずに楽ちんです。

でも、環境を変えることで、逆に集中できることもあるのだなと思います。

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「変えたい」のタイミングに乗る

夫を亡くし、私は一時期引きこもり生活をしていましたが、結局きちんと休めばよしやってみようと思うし、その環境に良くも悪くも飽きてきます。

私は飽き性ということもあったのかもしれませんが、この「飽きる」タイミングにうまく乗らないと、ズルズル行ってしまったののかもしれないなと思います。

なんだか変えたいけど「少し怖い」

変化する前は小さなことでも、未知の世界に一歩踏み出すわけですから、なかかなの勇気が必要です。

でも、その小さな怖さを踏み出さないと、難は無くなるかも知れませんが、変化はないですね。

それは「無難」だということです。

人生無難が悪いとは思いませんが、私は、それが少しつまらないような気がしています。

夫を亡くして

「私はこんな人生求めていない。夫と子供たちと特に多くも望んでいないし、普通に穏やかに暮らせていたらそれでよかったのに」

と何度も何度も泣きました。

でも受け入れていくと、あの波乱を乗り越えたんだから、もう少し波乱があってもなんとかなるかもと思える自分が一方でいたりします。

きっと大丈夫、あのストレスを乗り越えられたんだもの。

という自負が芽生えていたりします。

だから、少しでいいので、いつもと違う行動を(動けるようになったら)してみることをお勧めします。

小さな一歩が変化をもたらす

小さな変化であっても、実は大きな冒険の一歩かも知れないし、小さなことから大きな気づきを得る場合もあります。

たとえば、今までとは違う経路で道を辿って行ったのに、夫との思い出の地についてしまったなんてことはあります。

それを自分のメッセージだとして受け止め、考えてみると、前向きな気持ちになるかも知れません。

悲しい気持ちになったら、それは大切にしていということを確認するために起こったのかも知れない。

何かしら、違う行動をすれば刺激がありますし、気づきも得られることでしょう。


悲しい、辛いに囚われて、ループにハマるくらいなら、少し刺激を与えて、そのループを止める何かしらの変化を取り入れてみませんか?

いつもと違う道を通るだけ、いつもなら絶対に行かないお店に入るだけ、いつもなら絶対に選ばない食事を摂ってみるだけ。

ちょっとした変化で、きっと死別経験も色々な見方が生まれます。

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