死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。
「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。
新生活に向けて生活準備をすることは、何もしないよりは楽だった毎日。
しかし、その準備には色々な人との関わりが始まることでもありました。
私の最大のストレスは「人」。
避けては通れない、人との関わりのはじめの一歩が保育園の面談でした。
死別後の保育園の準備
夫と死別しました、夫は亡くなりましたと誰かに伝えると、息を呑まれます。
次に来る質問が大抵「なんで亡くなったの?」という質問。
我が家のように「死因不詳」とされた場合、こちらが聞きたいよ、と返したくなります。
だから、死因がはっきり伝えられる人は羨ましいとさえ思っていました。
夫を亡くして初めての春は、本当に予想を遥かに超えた新生活のスタートになります。
その間に保育園の面接や職業訓練校の試験と面接がありました。
自分のことを話さなければいけないという試練。
夫との死別を説明しなければいけない時間が本当に苦しかったのを覚えています。
保育園の面接では、面談時に声を震わせながら夫が亡くなってと伝えました。
先生から返って来た言葉は「役所からそれは聞いています」と。
「連携」という仕組みができている、彼女たちにとっては「日常業務」なのでしょう。
さらりとその言葉を言われた時に、私は正直「嫌だな」と思いました。
何をどう言われているのか?
役所に行った時は死別直後。
あの心理状態で、どこまで私は話したかも覚えていないのに、何を聞いているのだろう?と、とても勘繰りました。
精神的に不安定だと、そういう言葉の一つ一つに反応して、それこそ被害妄想ではないですが、色々な不安を広げてしまいます。
そして、死とはやはりナーバスな問題として扱われるので、相手も踏み込んで来ないし、私も話したくても言葉にならない。
そういうコミュニケーションの行き違いからスタートしたと言っても過言ではありません。
今ならうまく立ち回れたとは思うけれど、あの時の自分は言葉にするのも震えていました。
ただ、泣いていて、ただ、大変です、と言うのが精一杯でした。
人と顔をあげて話すことすらできない。
うつむいて、謝るような気持ちで体を小さく縮めるのが私のスタイルでした。
面談でもその状態で、子供たちを預けることをお願いするのが精一杯。
先生の言葉なんて一つも覚えていません。
子供達の新生活に心躍らすことはなく、私は不安で怖くて仕方なかったです。
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