死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。
「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。
夫が骨になりました。
今日は夫の遺骨について綴ります。
夫の遺骨について
夫の葬儀が終わり、彼は骨になってしまいました。
夫と結婚して約4年の短く幸せな結婚生活が、こう言う形で幕を下ろす事になるなんて、全く予想をしていませんでした。
夫が帰って来なくなり、約2週間。
私の人生はひっくり返ります。
新居に越してきて8ヶ月。
彼は自分の思いの詰まった彼の家で新年を迎える事なく、お骨となって帰ってきました。
彼は骨太で、本当にお骨がずっしり重かったことを覚えています。
彼は分骨されました。
全て事後報告。
「ここと、あそこに分骨したから!」とだけ言われ、私の元には分骨されませんでした。
そういう全てのことが、蚊帳の外状態で進んで行きました。
私は判断力も思考力もなく、ただ、絶望の中にいましたから、そこに「こうしたい」という感情すら湧いて来なかったのだと思います。
だから、分骨するからと言われても、そこに感情は抹殺され、「そうなんだ」とだけ思ったのだろうと思います。
今振り返れば、彼のメイン(?)のお骨と納骨までの間に一緒に過ごせた事と、納骨で完全に彼がいなくなったことで、気持ちが切り替わったのかもしれません。
納骨するまでは、彼のお骨を抱えて良く泣いていました。
お骨=夫ですから、お骨が私にとって心の拠り所となっていました。
お骨であっても、なぜかそこにある事自体で安心でき、癒しとなっていたのだと思います。
毎日、毎日、泣いて泣いて。
「涙が枯れるほど泣く」と聞いたことがあるけれど、そんなの嘘だと思っていました。
涙が枯れる事なんてない。
むしろ枯れて泣かなくなれたらどんなに楽か、と思っていたから。
私はあの頃、一生こうして泣いて生きていくのだろうと信じて止みませんでした。
泣くと言うのはとても疲れる行為です。
泣き疲れていたから、、私は、当時かろうじて眠れていたのかもしれません。
その時から、毎日泣く生活が始まります。
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