夫の葬儀当日〜死別シングルザーになってからのブログ2

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<この記事を書いた人>

死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。

「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。

夫の姿が本当に亡くなる、葬儀から火葬までのお話。

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夫の葬儀当日

夫の葬儀は家族葬でした。

義実家は、夫のいとこまで呼んでいましたが、我が家は両親と兄妹のみ。

誰を呼ぶのかすら聞かれませんでした。

 

葬儀は小さい葬儀場で、お坊さんも呼ばずに式を執り行いました。

私は、夫の最期の顔は、「人工物」だと言う記憶しかありません。

私にとってとても違和感があり、これが夫として最後に見られる姿なのだと言う虚しさのような感覚を今でも思い出せます。

 

私は喪主として挨拶をしましたが、正直蚊帳の外のような気持ちでした。

この機会に母に改めて聞いてみましたが、ちゃんと挨拶をしたなと思ったと言ってくれました。

とても辛かった中でも、私は喪主としての挨拶ができていたようです。

 

葬儀は火葬も含め、終始母が次男をおんぶ紐でおんぶをしてくれて長男の手を握り、子守をしてくれました。

 

義実家にとって夫はもちろん大切な息子です。

34歳と言う若さで、血の分けた切な家族を亡くしたと言うのも、私とは全く立場が違います。

それを考えて、頭ではわかっているはずなのに、なんだか私はその時に一つの境界線がはっきりと見えました。

 

私は現実が待っている。

乳飲み子を抱え、育てていかなければいけない現実。その重圧みたいなものをじわりじわりと感じます。

 

対照的に義実家は悲しみに暮れていて、何か一つの劇を見ているような感覚でした。

「私も一緒に(火葬の)の火に飛び込む!」と義姉が叫んでいたのを覚えています。

正直その言葉に、私の心は凍りつきました。

 

きっとその氷は溶けることはないでしょう。

 

悲しみに暮れているだけで済むのなら、そうしていたい。

こちらは「明日からどう生きていく?」と言う現実に押しつぶされそうなのに。

 

夫はあっという間にお骨になりました。

若さと健康が取り柄だった夫の骨はしっかりしたもので、とても重かった。

もう、生身の夫は目の前から消えてしまいました。

 

これから本当の意味での孤独との戦いが始まります。

 

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