申し訳ないと言う気持ち
コロナになった週は、なぜか予定がてんこ盛り。
熱でぼんやりしながらも、とにかくスケジュールの組み直しをしました。
自分がコロナにかかってしまったという罪悪感から、全ての人に申し訳ないような気持ちになりました。
徐々に手伝ってもらうことも「申し訳ない」と言う感覚が先行してしまいます。
ありがとうより、ごめんなさいと言う気持ちになり、手伝ってもらうことがしんどくなりました。
自分は今までできていたのに、何もできない自分は情けない…そんな感覚です。
自己犠牲的な考えになり、周りの言っていることが全て正しくて自分が悪いと言う感覚がすごく強かったように思います。
目が覚めたら
体調が戻りつつある頃、「自分が悪いから、なんでも従って当たり前」の感覚で物事を進めていたことに気がつきました。
元気になるに連れてそれに違和感を覚えるようになりました。
息子の週末のイベントが雨のため順延になりました。
そこで、私とペアを組んでいた親子が予定があって欠席すると連絡が入りました。
私は、自己犠牲モードですから、どうしても自分が出なければいけないと思っていました。
これなら辞退もありですよね?と伝えました。
そうしたら、彼は
代役は他にいるので、何とかなりますよ
とあっさり。
あ、そうか、そうだよな。、と。
そこで何かパッと視野が広がりました。
自分が全部我慢しなければいけないと言う思い込みをしていることに気がつきました。
心と体のバランス
心が折れている時、体調が悪い時、死別して間もない時とも感覚が似ていて、「自分が悪い」とか「自分がだめ」と囚われがちです。
それ故、判断が自己犠牲的になるリスクが高まると今回気がつきました。
自分が悪だからから、みんなの言う通りにしなきゃとか、自分はダメだからの判断が間違っている、だから私はあの人に従わなきゃいけない。
自己評価が下がるとこんなふうに、自分の判断を誤りやすくなるので注意必要です。
私はどうしてもこうしたいと言う思いを伝えても、自分の思うように無理矢理持っていこうとする人もいました。
自分が弱まっていると相反する人と引き合い、より自己評価を下げるスパイラルにもハマりやすいですね。
日に日に症状が良くなっていくと、それはコロナになったことは関係なく、その人は自分の意見をどんな時でもどうにか通したい人なだけだと今ならわかります。
違和感が膨らんで行きますから。
ただ、私が自己犠牲的な気持ちで人に従うばかりだと違和感が増えますし、事態が面倒くさく、複雑になるということがわかりました。
コロナになってとても手を煩わすことが増えました。
それに対して調整をしてくださった方ばかりで、感謝でいっぱいです。
だから、わがままを言うのではなく、自分の意見を曖昧にせずはっきりと伝えることが誠意でもあるということですね
自分が弱っている時には判断は自己犠牲的になると言うこともわかりました。
病気をすると多くの気づきがあるものです。
死別で心が弱っている場合も似ています。
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