ブログを書くということ

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<この記事を書いた人>

夫を亡くした当初、私はどうしたらいいのか分からず、とにかく同じような境遇の人のブログを漁りまくりました。

どうしたらこの状況を抜け出せるのか、その「方法」をとにかく早く見つけたかった。
それだけ苦しかったんですよね。
私は方法は見つけられなかったけど、たくさんの方の体験談を拝読して、私だけではないんだという事は分かりそれだけでも救われました。
私のように、心が落ち着いてから書くブログとリアルタイムの苦しさを発信している人。
リアルタイムでの文章は本当に心打たれます。
その時のわたしの気持ちを呼び起こして苦しくなる事もありますが、ぽっかりぬけている記憶が少し見えるような感覚になります。
辛い最中そうやって発信している方は、心の整理をしていらっしゃるのかなとも思うので、それはとても有効ではあると思います。
ご自身の心の整理は出すことでできるとかなと私は思ってます。
まだつらい中にいると、自分が当時何を考えていたのか、どういう想いで過ごしていたのか、どう心が変わるのかがわかると思うし、元気になって見返すとそれがその人の「方法」であるということに気が付きますね。
それが誰かの救いになることにつながると思いますし、ご自身の強みであり優しさであると確信できるなにか、その人の芯なんだという確信になりますね。
もう、あれを乗り越えられたんだから、何があっても大丈夫!な私になるっていう。
日記って私の子どもの頃は、鍵のついたノートとかもあって、だれにも見られない、見せないものだったんですけどね。
いつの間にか公のものになってますね。
いろんな人がいて、いろんな考え方があり、共鳴する人がいたり、まったくそぐわない人がいたり、とにかく自分と同じ人はいないなっていうスタンスで見て、自分と似た様な境遇の人もいて、みんな違ってみんないいというのと、私はひとりじゃないっていうのが同時に感じられるツールになればいいなと思っています。
辛いとき、キラキラしたブログを読んで、そことはかけ離れた自分であることがとても苦しくなるようなものになったら、本末転倒ですからね。
そういうところだけをかいつまんでいる人もいるなんて、辛いど真ん中にいるとそういう発想すらおもいつかなかったりもします。
うっっ!!ってなる感じがするブログがあれば、そことは一定の距離を置いて、ただ自分を元気にするものを取り込めばいいんですよね。
それが、私のブログとの付き合い方。
私は書くことで、かなり自分の心を整理することができるので、ほぼ毎日こうして発信しています。
そして、たった一人でもいいから、誰かの救いになったら、私の経験もすてたもんじゃないっていう気持ちになって、私は勇気と元気をもらえるから、私はこれからも書き続けるんだろなと思います。
私は「方法」って一つじゃないと思っています。
でも元気になるヒントっていうのはあるんだなと思ってます。
それに気が付いたら、発信していこうと思います。
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