写経を勧められた朝

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<この記事を書いた人>

旅行での話。

最終日。

少し早起きをして海辺でご飯。

次男は波と戯れていいました。

私はその光景を見ていて、「穏やかで幸せ」と思っていました。

 

そこへおじさんがやってきて、写経が書かれている紙を差し出し、

この字を上からなぞってほしい

と言われました。

別に断る理由もないし、きっとやらなきゃいけないことなんだろうと思って、一文字書きました。

 

その次におばあさんがやってきて

同じ紙を差し出して、今度は一行書いて欲しい

と言われました。

一人何文字かのノルマがあるのかしら?私はさっきもう書いちゃいました

と伝えましたが、それでもいいから書いてくれと。

まぁいいやと思ってまた書きました。

この字は幸せな文字だとかで、書くと自然環境や人間環境がよくなると言う説明。

でもね、観光地GWの熱海の海はゴミがたくさん散乱していたんですよね。

この字を書いているうちに自然環境がよくなる?そうだろうか。

いや、この文字を書いている間にもゴミを拾った方が自然環境に良いのではないだろうか?

この矛盾なんだろう?笑

結局その写経の紙を100円で買わないかと持ちかかれれ、もちろんお断りしました。

その人の幸せってそれぞれだから、私は良いも悪いも思いません。

ただなんとなく、この綺麗な海と戯れている子供を見ながら幸せを感じて満たされている私に「幸せになるから文字を書いてくれ」と、海ではなく、ぼんやりしている人を探しているこの方の幸せってなんだろう?と思いました。

(危うく話を聞いてしまいそうな私をグッと堪えました・笑。)

死別して、たくさんの宗教関係の方が我が家に足繁く通ってくれました。

ありがたい新聞や冊子がポストの中にいっぱいになりました。

私は夫教だったんだと、夫の信者だったんだと当時は思っていて、その代わりに何かにすがりたい、何かの穴を埋めたいという気持ちになっていました。

ただ私は特定の宗教は必要はなくて、神社参拝をすることが私の幸せであると今はそう思っています。

何か辛いことから離れたくて、無心になりたい気持ちもわかります。

私はジグソーパズルにハマりましたから。

だから、別になんだって良いのですが、まず信じるべきは自分です。

それがあって、色々な選択をすれば良い。

それはきっともっと広い視点から、自分を見る。

海や青空を見つめるときっと涙が込み上げるくらい綺麗だと感じられます。

それが眩しくて見るのが苦しくなるかもしれません。

大好きだったあの人と見たかったと涙が出るかもしれません。

 

それでいい。

目の前の幸せになるかもしれない文字を見るのではなくて、広い視点で自分を見れば、きっとそんな自分を自分自身や自然がきっと癒してくれます。

特定の宗教を否定しているわけではないです。

ただ、私は目の前の文字を書くことではなく、目の前の海や、空や、息子の姿で十分幸せだったという事実。

 

自然環境をよくするなら、違うアプローチをするだろうと言う価値観の違いを感じた朝の出来事。

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