相談することがもっともっと当たり前になって欲しい。

スポンサーリンク

<この記事を書いた人>

スポンサーリンク

スクールカウンセリングを利用しています

先日のスクールカウンセリングで、先生と、最終的にカウンセリングの必要性について話をしていました。
結局先生は、カウンセリングはその人の背中を押すだけで、決めるのは自分だと。
そのためにこういう(スクールカウンセリングのような)場があるのだから、相談することを選択肢の一つにして欲しいとおっしゃっていました。
親や友達で解決できたらそれでいいわけですが、そこでも話せないこともある。
逃げ場みたいな場所を自分で持っておくことは大事ですね。
意外と親って子供のことをと思って、自分の価値観を押し付けてしまいがち。
自分の親の世代の当たり前を、自分が生きてきたことを正しかったと証明したいがために押し付けてくる場合もあります。
そこで、いつまでも親に相談し続けていたら、家庭は逃げ場ではなく、苦しい場所になります。

カウンセリングの有効性

友達に話していても、その子の課題があるので、相談したくても話題が相手に持っていかれることもありますよね(笑)。
わたしが相談しているのに、いつの間にか相談に乗っていた、みたいな。
対等であるから、立場が混同しやすかったりします。
先生(大人ならば上司)に話したら、相談しているのに、いつの間にか「指導」されていたということもあるかもしれません(そこは学校の課題かもしれないとおっしゃっていました)。
だから、カウンセリングを受けなさいというわけではないけれど、もっと気楽に相談が出来るような世の中になって欲しいと思います。
カウンセリングという場は、相談をする場であると目的がはっきりしているし、相談する人と受ける人という立場もはっきりしています。
それこそ、相性があるので合わなければ変えればいいわけです。
なかなか見つからない場合もありますが、それこそ数打てば、そのうち自分がどうしたいかが見えてきます。
カウンセリング自体に合う合わないということが見えるかもしれしれないですしね。
相談するにあたって、周りが変わるのではない(というか、周りを変えるにはものすごい労力と時間がかかる)のではなく、自分が変わる(そのほうが手っ取り早いし、周りや見方も変わり、結果周りが変わるのだということに、気がつければ、もうそれだけで上出来。
そういう視点が変わる瞬間に立ち会えたら、それは嬉しいことだとおっしゃっていて、それは本当に共感しました。
それを自分自身が人生で経験できたら、驚くし楽しいです。
相談の場がもっと身近になりますように。

 

パートナーを亡くした方のカウンセリング

当事者として、寄り添ったカウンセリングをいたします。

お申し込みはこちら

↓クリックして応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

コメント