根本的なマインド
久しぶりに昨晩は違うコミュニティーのオンライン飲み会に参加しました。
死別の方と交流すると、過去の自分を見ているような気持ちになることもあります。
そこで感じたことを、今日はお話したいと思います。
まず根本的なマインドとして
私がひとり親になったことで、周りに負担をかけている
と思い過ぎないことって大切。
だからって一人で抱え込むのは違います。
ひとり親は死別、離別、未婚含め、本当にたくさんの方がいて、それぞれ子育てをしています。
だから、そこに対する「困った」を解決するために、自治体の支援だとか、民間のサービスが存在するわけです。
家族や友達、自分や子供たちだけでは限界だなと感じるなら、「申し訳ないなぁ」と思うところを、ここまで手伝ってくれて「ありがとう」にまず変換。
そこから、もう少し広い視野で、他の手を借りてやれることはないのだろうか?
と言う、未来志向を取り入れて欲しいです。
同じことなんですけどね、でも違うってことはなんとなくわかますよね?
例えば、子供が小さければ、子供に手がかかる分、お金はそんなにかかりません。
なので、そこを何かのサービスに投資して、いろいろな負担を軽くすることだってできます。
それを利用して、どこまでが自分の経済的な面と、自分と子供の精神的な面で負担がかからないか、そのちょうど良い塩梅をはっきりさせるのも一つの方法。
それには、やってみないと見えないことでもあります。
頭で考えているだけではわからないことでもあるので、誰かに相談する、やるかやらないか決める。
やるなら、やめても良い前提でやってみる、みたいな、自分のルールを作って、大いに試行錯誤をすれば良いんです。
それで、あなたオリジナルの家庭ができてくるから。
その形もどんどん変化し、進化することも経験できるでしょう。
死別は(例え余命を宣告されたとしても)予期せぬことです
それまで、その人が何かを怠慢にしていたとか、自分がもっと素晴らしい人間だったら死ななかったとかそう言うものではありません。
それぞれの人生を、その人なりに一生懸命に生きてきたのは変わらないじゃないですか?
なのに、亡くなったからって、申し訳ないと思わ話なくて良いんじゃないですか?
今まで、そうやってそれぞれの人生を一生懸命生きていたから、亡くなった後でも、周りの人はなんとか支えようと手を差し伸べてくれているのではないでしょうか?
周りの人はきっと負担に思っているに違いないというフィルターをかけているのは自分です。
そこは聞ける相手なら、聞いてみて実際を確かめてみませんか?
そこから、どこまでならOKか、どうしたらOKかとか次の段階が見えてきます。
いろいろなことを、思い込み過ぎずに進みましょう。
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