君が(美しい)思い出になる前に

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<この記事を書いた人>

色々な人と過ごした2日間。

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本当に会えない「死別」

私たちはパートナーの死という、完全にお別れした状態になります。

亡くなると言うのはある意味、完全に諦めるしかない状態になるし、後悔の念もたくさん出てきます。

だから、自分を責めがち。

むしろ亡くなった彼のことを周りはいい人だったね、なんて話をされたら、うん、そうだった、と返すことが正解のような気がしてしまう。

でも、正直、病める時も健やかなる時も共に生きていくと公然と約束したにもかかわらず、先に亡くなられて、おいおい自分の人生こんなはずじゃなかった、冗談じゃないよと怒りが湧く気持ちになることもあると思います。

 

これは一概に言えないのですが、離別の場合相手は生きているしその恨みつらみって言いやすいのかなとも思いました。

私だって夫が生きていた頃は嫌味の一つを言っていたし、明日も生きていると思っていたからこそ、友達に愚痴も言っていられました。

だから、本当は死別であっても、どろどろとした不満や夫に対しての怒りがあった場合、それを一旦美しい思い出になる前に吐き出したほうがいいのかなと感じたのです。

感情は一旦吐き出しましょう

悲しいんだか、怒っているんだか、なんだかわからない。

わからないまま進んで、そのうちになんだか良い思い出ばかりが回想されて、落ち込む日々から抜け出せないと言うようなスパイラルにハマっていないでしょうか?

幸せになるために結婚したのに、なんなの?みたいな怒りや、納得の行かなさみたいな気持ちを、早い段階で出すことって結構大切なのではないかな?

 

死別の場合文句を言っていてもしかないと、諦めざるを得ないと気がつくこともできるだろうから、まずその感情を出し切ってから、悲しさ、寂しさと向き合うことが大事かなと、離別の方と話をしていて思いました。

いい意味できっと割り切ることがきっとできるから、先に怒りの気持ちを持ってもいいし、それを認めて吐き出すことをしてください。

 

死というものは、不思議で時間共に綺麗になりがちです。それはそれでいいけれど、でもブラックな感情を持つ自分が悪いなんてことはないです。

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