自信なんてない
死別をして、私は本当に何もかもに自信を持てずにいました。
親として子供を育てることも、世帯主として働いて生きていくことも、何もかも。
本当に何もできない私を、なんで夫は残して逝ってしまったんだろう?と、そればかりを考える日々でした。
でも、生きていかなければいけないし、子供を育てなければいけない。
そんな毎日の繰り返しで、できたことをできたと認識するしかないんですよね。
それを自分で認めるのはとても難しい。
自分の不足を感じているときは、本当に周りだけが満たされているように見えるから。
周りの声は絶対ではない
案外、自分の身近な人って頑張って欲しいという気持ちが強くて、そういう時は厳しかったりします。
もっと頑張れとか、もっとこうした方がいいとか提案してくることもあるでしょう。
そこは焦らなくていいですよ。
心も体も動かない時もあるからね。
それはその人の考えで、経験もしたことのない人の「理想論」くらいに思えばいいです。
その代わり、自分のペースで自分の生き方を作って行って、自分で認める。
毎日生きていくのだから、自分の生き方というものが自然とできてきます。
それを自分がどこか他の夫婦揃ったところのきらきらしている所と比べて、だめだ足りないと思うのではなく、自分独自の生き方ができてきて、これでいいんだと納得して進めばいいではないですか。
それを自分ではできない時は、自分の味方になってくれる人、私の場合はカウンセリングや相談という場で内省して、自分の代わりに目の前で認めてもらったことを自分の中に落とし込んでいました。
少しずつでいいです。
毎日を否定しないでください
その苦しさも自分の経験となり、実績となります。
その辛さが誰かの役に立つこともあるし、それが自信につながる種子なんだと思ってください。
人の役に立つために自分は苦しい思いなんてしたくないと思うかもしれません。
でも、誰かの役に立った時、自分が満たされることを絶対に感じます。
だから、自分を否定しないで、毎日を認めるんです。
毎日頑張っているね、昨日よりここは前進したね、と。
逆に後退してしまったと感じても、そんな日もあるよね、でも私なら大丈夫と声をかけてあげてください。
私は、当時自分はだめだだめだと思い続けました。
だから、すごく立て直すまでに時間がかかりました。
でも、死別された支援員さんやカウンセラーの先生に、いつも私に励ましの声をかけ続けてもらっていました。
それがなかったら、自分を肯定して良いと許可すらできなかったかもしれません。
私は、たまたまそういう人に出会えたので、ラッキーでした。
なかなかそういう人が周りにいないという方も多いかと思います。
だから、まず自分が自分を肯定することを許してあげて、声をかけて上げて下さい。
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