夫が亡くなって目覚めたこと。

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今朝は早起き

朝からかぼちゃのタルトを作りました。

それに加え、プチ断捨離もしました。

早起き、いいですね。

以前読んだ本「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」(佐々木典士・著)を中田敦彦さんが紹介していました。

最近モノが増えてつつあり、なんとなく気になっていた毎日。

そんな時、この動画を見たものだから、そろそろまた片付けろよ〜ってメッセージかなと思って、断捨離熱が再燃しています。

思い出系、特に子供達の絵は、引き出しにしまったっきり何年も開けていないなぁ。

息子と年末に「半年開けなかったら、そのまま捨てよう」と決めた段ボールも触れることなく、半年経ちました。

それくらい私たちは不要なものに囲まれて、モノを抱えて生きています。

夫の遺品整理から、断捨離に目覚めた私

あれほど虚しくしんどい経験はないと思うほど、遺品整理は辛かったです。

それを子供たちに引き継ぐつもりはありません。

夫のものは我が家にはほぼ(五月人形だけかな)ありません。

でも、彼を思い出そうと思えば、声も彼の表情もすぐに思い出せます。

パパのものがあったところで、子供たちが思い出すかというと、そうではないです。

子供たちは小さすぎて、その記憶すら怪しいですしね。

だから、彼を覚えている私が、私の記憶の中で、伝えたいものを選んで伝えればいい。

それに関して、私は彼のモノは不要だったということです。

私にとって、彼のモノとは、寂しさを引き起こすものでしかなかった。

だから、手放しました。

寂しくなる時間と共に手放したということです。

物を減らせば現在に集中できるというメリットもあります。

やっぱり古いものを手にすると、過去に引っ張られるような気がします。

いい意味でも悪い意味でも。

こんなことを描きながら、私の頭は不要なもので頭がいっぱい。

まだまだいらないものを抱えているようです。

夫はなくなった時に、なにか物を持っていたのだろうか?

答えはNoです。

そこから私たちは学ぶべきことがたくさんあるように思います。

 

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