自責の念の和らげ方
大切な人が亡くなった場合、自責の念がたいていセットで付いてきます。
自分のせいで、自分が悪かったから…そうやって自分に責任の矛先を向けて原因を探ろうとしている人は多いのではないでしょうか?
私も夫が亡くなった当初は、自分のあの言葉が、あの時の気持ちが、想いすら、いけなかったと思っていました。
それくらい大切な人に生きていて欲しかった、ということの表れですから、あってOKです。
夫はきっとこうして欲しかっただろう、私にあの時、あんな言葉をかけて欲しかったんだろうと想像をして、思いをめぐらせます。
では、夫をあなたの人生の中心に置き、夫の思う通りに、夫にとって完璧な妻で、完璧な女性であったら彼は亡くならなかったのか?
もし、自責の念で毎日毎日思いを巡らせている人がいたら今一度考えてみてほしいです。
夫は完璧?
また逆も然りで、亡くなった夫は完璧だったのか?
きっとあなたは夫にこうしてほしい、ああしてほしいと思うこともあったと思います。
思い出は日々美しく更新しがちなので、今一度夫に何も文句もなく完璧な夫だったのかよくよく考えてみてください。
夫が完璧だったから、あなたは生きていたのでしょうか?
今も夫が完璧だから、苦しくても生きているのでしょうか?
もし夫が完璧で、私の願うことを叶えてくれていなかったら、あなたは死んでいたのでしょうか?
自分に集中して、いろいろと思いを巡らすことは決して悪いことではないと思います。
そういう時間も必要です。
でも、対局の部分を見るように心がけることも同時に必要ですね。
あなたが今生きている理由は、外側ではないはずです。
そして、今苦しいと思っているなら、そこから抜け出したい、つまりは生き生きと「生きたい」と思っているはずです。
生きる意味だとか、生きがいだとか、幸せを追い求めているから、夫がいなくて苦しいんですよね?
でも、夫が原因で、生きるとか死ぬとかを決める訳ではないはずです。
だから、何か出来たことがあったのではないかと思う事と、自分が原因だと思い込むことは似て非なるものです。
そこも細分化して、切り分けてくださいね。
夫は私が至らないから死んでしまったと思う方がいたら、主語を入れ替えて下さい。
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