社会と関わる生活のスタート〜死別シングルマザーとして生きていくブログ17

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<この記事を書いた人>

死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しております月城真佑美です。

「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。

職業訓練校が決まった私。

家族だけで過ごしていた時間から、社会に関わることをスタートします。

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社会と関わる生活のスタート

夫を亡くした翌年の春、私は職業訓練校、子供たちは保育園入園でした。

確か入園式というものはなかったと思います。

これは本当に助かりました。

最初の一週間は慣らし保育。

1歳の次男は、ただ預けるだけでしたが、長男は毎期泣いていました。

私だって好きでこの状況になった訳ではないという思いが強すぎて、私も毎日罪悪感に襲われて、本当に苦しい日々でした。

長男はきっとパパがいなくなった不安、私がなんだか泣いてばかりいる不安が積もり積もった時に、保育園という知らない人ばかりの、知らない場所に入れられたのだから、さぞ不安だったと思います。

子どもながらに、かなりのストレスがあったのだろうと思います。

その代わりと言っては何ですが、次男はいつも穏やかでニコニコしてくれていました。

保育園に預ける時も、泣くこともなく、とにかく安定の無垢さで、私たちを癒してくれていました。

ですので、当時の長男にとっても心の拠り所は次男だったと思います。

私たちはこうして、支え合って社会に順応し始めます。


保育園の家族愛の溢れる空間は苦しい場所でした。

一切余計な話はしないで人を避けるようにしていました。

イクメンが一般化し始めていたので、パパが協力的に送迎に来ているところもたくさんありました。

それを見るたびに、苦しくなり、私は苦笑いで挨拶するのが精一杯でした。

保育園の滞在時間を最小限にするべく、急いで準備や片付けをする事に力を注いでいました。

「誰も私に話しかけないで」オーラをものすごい出していたと思います。

子供たちには申し訳ないけれど、私はママ活は全くせずに、機械のように子供たちの送迎をしていました。

私はいつも泣かないように気を張ることで精一杯。

社会復帰のスタートは、その時の私とは真逆の、笑顔が溢れる保育園という場所でした。

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