もうすぐ父の三回忌。
父が亡くなり2年の年月が経とうとしています。
夫との死別経験のおかげで、父の闘病生活には後悔はありません。
何より、父が選択した治療法を私たちは受け入れて、本人が良いと思っているなら、それでいいではないか、と、後押しをしていただけでした。
私は娘として、父とのわだかまりを解消すべく、対話を重ね、言いたいことは言い切ったという思いがありました。
あとは、何度も倒れている人でしたので、多少の覚悟をそれこそ何十年単位で培ってきたからだと思います。
母も父に対してやり切った感じがあり、今を楽しんでいます。
本当に夫との突然のお別れを最大限に生かした父のと死別。
パパ、ありがとう。
人生の後悔
子供たち(私たち兄妹)もそれぞれ独立していましたしね、それは私の時とは大きく違うんだろうと思います。
夫と父は亡くなった年齢も亡くなり方も大きく違い、比べようもないですが、共通して思うのは、どちらの人生も尊敬すべき人生だったということ。
それぞれが自分たちの人生を全うしたんです。
生きていさえすれば、こうしたい、ああしたいという想いは持つもの。
それが途中で断念され、人生の幕をおろしてしまったことへ色々な想いが巡ります。
でも、それはきっと、自分だって、いくらやりたいことをやり尽くす人生でも、きっと「もうやることはない」とはならないと思うのです。
遺された私たちは彼と「一緒に」何かをしたかった想いを持ったまま生きますから、そう簡単に諦められないですよね。
私だって、ありますよ。
ことあるごとに、子供たちが絡む行事などがあれば、特に想います。
それと同時に自分のやりたいことを考えます。
だって自分の人生も、終わりに向かって進んでいるわけだから。
きつい言い方かもしれませんが、「もうできないこと」を考え続け、自分のしたいことを後回しにしてしまっていたら?
私は夫の無念を自分もすることになると思うと、夫が教えてくれた「大切なこと」を台無しにしているような気持ちになります。
自分のしたいことがわからない、見つからない。
というのは、考えているだけだらからかもしれません。
ちょっとでも気になることをやってみたら、きっとご縁のあることでしたら、人間関係やそれこそ自分の「やりたい」ということが広がります。
違うな、と思えば辞めたり、手放せばいいだけです。
夫とこうしたかったと思うことでも、一人でできそうなことならやってみてもいいかもしれません。
そこで辛くなるなら、諦めも付くものです。
そうやって、夫と自分の線引きをして、夫が何をやれなかったのかではなく、人生で何をしてきたのか?を考え、リスペクトし、自分が何をしたいのか考えるヒントにぜひしてください。
旦那さんの人生は後悔や無念ばかりではないはずです。
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