夫が生きていたら、老後は仲睦まじい夫婦だったはずと思っている方へ。

スポンサーリンク

<この記事を書いた人>

 
一番仲良しだった同僚が退職。寂しい、はない。でも、つまらないなぁーはある。
でも、繋がっていれば、生きてさえいればまた会えるね。楽しかった、ありがとう。
スポンサーリンク

私と夫はとても仲が良かったです。

いつも楽しい話をしていましたし、冗談ばかりを言い合う仲でした。
喧嘩という喧嘩もしなかったな。
私が機嫌を悪くしても、嫌味を言っても「そういう言い方は嫌だな」とさらっと言ってくれたので、私も、素直に「ごめん」と言えたし、感情的な喧嘩というのはありませんでした。
10年来の友達という土台もあるから、私たちは絶対にこのまま、ずっとずっと楽しい夫婦でいることを疑っていませんでした。
だからね、本当に悔しかった。
そんな未来を全て奪われたことを信じたくなかったし、受け入れたくもなかったです。
運命を恨みました。
なんか私悪いことした?と神様すら恨みましたよ。
だから、受け入れるのに相当の時間がかかりました。
これ!!と言う1つの答えはないけれど、今は受け入れて心穏やかに、安心して生きています。
心の中に夫はいると言う、出来過ぎなようなことも平気で言えます。
でも、本心だから、誰に何を言われようとも絶対的な想いです。
だから、それくらいら大切だから、今もなお、たまーに波はやって来ます。
あぁ、一緒にいたかったなーって言う想い。
でも、たまにです。

いい意味で諦めるしかないと言う部分もありますね。

それには、今「ある」ものをピックアップして見ることも時として必要。
これは私個人の究極のことになります。
夫は川で見つかりました。
でも、海に行ってしまっていたら?と思うと、今もなお私は、彼の帰りを待ち続け、彼を探していたでしょう。
彼の大切にしている、この家には住んでいられなかった。
そう思えば、きちんと私たちの元に帰って来てくれて、供養をし、友達ともお別れする場を提供できました。
そうやって、究極の最悪の事態を想像してみれば、これでよかったと、いい意味で自分を納得させることができます。
究極ですけどね。
でも、もしそうだとしたら、私はこんなに心穏やかな気持ちにはならなかっただろうと思うんですよね。
私は棺桶に入ったときに、「この人生でよかった」と思うと決めているので、これでよかったと思うかけらを集めて、自分に言い聞かせて来たのかもしれません。
本当にそこから、この自分だからできる人生、味わえる感動、感覚が育っていくのです。
もし、〇〇だとしたら、とすごく良いことばかり思い描いていませんか?
決して悪いことではないのだけれど、バランスをとるとしたら、逆の最悪の「もしも」を考えてみませんか?
でも、やっぱり、悔しいよね。

 

パートナーを亡くした方のカウンセリング

当事者として、寄り添ったカウンセリングをいたします。

お申し込みはこちら

↓クリックして応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

コメント