死別後の人生の舵取り

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<この記事を書いた人>

 

毎年一回は作りたくなるタルトタタン。シナモンを多めにしていただきました。温かいうちにいただくのが最高。
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このまま悲しいだけで人生終わりたくない

セッションをする度に、クライアントさんは
夫を亡くしたからって、このまま悲しいだけで人生終わりたくない
と、心から思っていらっしゃるなぁと思います。
素敵です。
セッションを受けていなくても、そう思っている方は多いと思います。
私自身、十分悲しんだ後、幸せになりたいと、このまま悲しみだけで人生を終えたくない、と思いました。
まず「思う」があり、いつしか
私の人生はこのまま寂しいだけで終わらない
と「決める」のです。
そう決めたら、そこに進むのみ。

人生は選択の連続。

ゴールが決まっていたら、その後の選択は決めやすい。
例え失敗しても、これはゴールをより明確にするための、ただの経験だと思えるのではないでしょうか?
生きてさえいれば、失敗はいくらでも取り返せる。
私は夫を亡くしたことで、痛烈にそう思っています。
生き方はそれぞれですが、大きく法に背くとか、あえて人を貶めるとか、そういう非人道的な選択でなければ、取り返せるはず。
その選択に迷う場合は、専属のコーチをつけたり、カウンセラーをつけたりすると、自分以上に自分を信じてくれるから、様々な選択をした時に「それでよかった」と思えます。
うまく行かなくても、その気持ちを共有すれば、これくらいで済んでよかったと思える。
そう言う人がいない場合は、自分が自分を絶対信じてください。
難しい場合は「これでよかった!」と嘘でもご自身に言ってあげましょう。
ここは言ったもん勝ちくらいに考えて。

自分の人生の主導権は自分です。

当たり前のようですが、ここは一旦停止で確認を。
亡くなった夫でも、子供でも、ましてや義両親や実の親でもありません。
自分の人生で、自分がその人生の舵取りをしているのです。
そこが落とし込めるようになれば、夫を喪った経験があったからこそ、それが明確になったとすら思えるのではないかな?
もちろん、私は夫のことが大好きで、夫が生きていて欲しかったと思っています。
でも悲しいかな、自分の人生を夫に委ねていたことを、私は夫を喪ったことで気が付けた、という一面もあるのです。
夫を亡くすと、その舵取りを徐々に自分に戻すわけでは無く、一気に自分に戻ってきます。
だから、戸惑うし、うまく行かない。
でも、なんとなく、うまくできた日は面白いなと思うし、自分ってやればできる!と思うものです。
そもそも生前そういう自分であって、そこに夫がいて、夫とそのことお互いに共有できたら、最高だったのにと思います。
でも、私はその船のお客様で、夫が舵を取っていた。
そこで運転をできもしないのに、彼の運転に不平不満、自分の思う通りにいけばご満悦なんてことをしていたのかなぁなんて思います。
今は自分しかいないから、言い訳できません。
だから、貪欲に自分が幸せになるための選択をしているまでです。
セッションをしていても同じ。
決めるのはクライアントさんご本人です。
本来持っている力を、ご自身が呼び覚ましてゆく過程をお手伝いしているだけ。
皆さん本当に強いです。
でも、慣れないからちょっと遠慮がち。
もっと自由に、もっと貪欲になっていい。
誰のせいにもしない、自分が責任を取る、素晴らしき自分の人生。
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コメント

  1. ふみまる より:

    SECRET: 0
    PASS:
    こんばんは
    夫を亡くし絶望していましたが、
    このまま残りの人生ずっと
    不幸なまま生きて行きたくない
    そう思います。
    田中さんのブログは本当に
    前向きになれます。
    ありがとうございます。

  2. 田中 真弓 より:

    SECRET: 0
    PASS:
    >ふみまるさん
    夫を亡くし、絶望はありますよね。
    私もそうでした。
    でも、それではあまりにももったいない!
    すぐじゃ無くていいです。
    少しずつですね。
    前向きになれるという言葉がとても嬉しいです。
    コメントありがとうございます。