生きづらさから生きやすさへ転換するヒント

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<この記事を書いた人>

先日の特別ランチ会の時に撮った江ノ電の写真。出かけるとついつい電車の写真を撮ってしまうのは、鉄オタの息子の影響。

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生きやすさと自由

自分の「生きやすさ」について、いつも考えては書き綴っております。

その中にね、「自由さ」っていうのがヒントにあるのかなと思います。

今、あなたはどの程度自由で、どのくらい不自由なのか。

その基準はやっぱり自分です。

きっと夫を亡くして、様々な不自由さを感じている。

だから、とても生き辛さを感じているんじゃないかな。

ここは感情とは切り離して、客観的に考えてみるといいです。

私は結婚を機にある意味親からの期待(と感じていた)から、解放されました。

もう、実家での「結婚しないのか?」みたいな空気感を感じることはなく生きられる。

出産もある意味そういう部分があったのかもしれません。

私は依存体質だったので、結婚を機に「家庭に入っていい」という夫の言葉に甘え「仕事」というプレッシャーからの解放も果たしました。

パパが家を買うことで、向こうの両親からのプレッシャーからも解放されました(パパは責任重大だったと思いますが)。

子供ができたこと、そこからの次男ができたこと、などなどその都度表立った「体裁」からの解放をしてきたように思います。

そこで何となく自由さを得たような感覚がありました。

でも根底の「依存気質」は変わっていませんから、夫が亡くなったことで全て崩れ去り、本当にボロボロになった訳です。

夫を亡くし、周りに自分の環境をなかなか言えない不自由さとか、理解してもらえない不自由さ、子供を手伝ってくれる人の居ない不自由さ、とにかくありとあらゆるところに不自由さが転がっていました。

でもね、自分を立て直していくことで、自分でやれることが増える訳です。

変な話、高いところの電球だって、今は当たり前のように変えられるし、私の場合、どこへ行っても自分の身の上を話すことに抵抗がありません。

場の空気感が崩れたら、あぁまたかと笑っちゃうくらいです。

仕事も、ある程度自由にさせていただけていて、自由に発想し発言することをよしとされている。

良くも悪くも旦那さんの帰りを待つこともないし、子供の手が離れてきたから、自分の時間も持てるようになりました。

収入は恐ろしく稼いでいるわけではないけれど、死別当初と比べれば、人並みに稼げるようになりました。

だからこそ、自分のしたい勉強や美容にも「自分の基準」でいいと思える程度に投資ができるのです。

そうなると、もっとこうしたいという欲が出てきて、生きることが前進する。

そんな感じで8年「段階的に」自由を勝ち取ってきました。

あなたにとっての生きづらさは?

あなたにとっての生きづらさは、もしかしたら、そういった日々の不自由さを感じているからかもしれないです。

それを洗い出してもいいですね。

その不自由さを少しでも開放し、自由さに変えていけることはないでしょうか?

あなたが自由でいられる場所はどんなところなんだろう?

本当に、それは旦那さんじゃなきゃ不自由を解放できないことなんでしょうか?

案外、自分でやってのけられてしまうと、自由さ、身軽さを感じることができて、あれ?前の重い自分とは違うぞ、と感じるかもしれません。

それは、周りから見た、何となくよしとされているものが基準ではありません。

あなたの中にある、あなたが感じる「自由」です。

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