夫への手紙で気がついた事。

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<この記事を書いた人>

長男の誕生日の日に行った神戸屋レストラン。

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グリーフケア の講座の課題で、夫に手紙を書きました。

手書きで、と言われたのですが、気持ちを一気に出すのは、パソコンの方が良い。

私は、今の気持ちと近況報告とともに、かつて彼にしてあげられなかったことを謝りました。

私は、夫に対して、思う事があります。

「抱きしめてあげればよかった」

私は、彼の味方で、彼の最大の理解者であると自負していました。

でもね、それは逆で、彼は私の味方であったけれど、それは「彼に甘えてている」が前提なんですよね。

もっともっと大きな心と大きな器で、彼の味方になればよかったと思っています。

これは言葉にし難いのですが、そういうことなんだと思います。

ごめんなさい、これは私の中での理解なので、スルーでいいです。

当時の私はあまりにも幼かった。

実際年齢も若かったというのもありますが、それだけじゃなく、あまりにも色々甘かったなぁと思います。

でも、その甘い私でなければ、彼は私を愛してはくれなかったんだとも思うのです。

だから、私はあまりにも頼りなかったけれど、それを彼は良しとしてくれて、結婚して、子供も授かることができたのです。

そう思うと、情けない自分も肯定しないと全てが辻褄が合わなくないですか?

私は彼と出会い結婚し、子供を授かるという経験をしました。

結局のところ感謝しかない、ということも改めて納得しました。

だから、彼の死も彼の人生も受け入れられている。

そんな確認作業になりました。

どうしたって彼に会いたいと思う日だってあるし、彼に嫌味の一つだって言いたくなる時もある。

こういう言い方はとても軽い感覚かもしれないけれど、生きていればそういう気持ちにもなります。

それは生きている証拠だし、彼がまだ心の中に生きている証拠です。

それを丸々忘れることはできないし、するなんて、なんだかそれこそ寂しい人生だなと思うんですよね。

無理に忘れることもないし、寂しく感じることが悪いことでは全くないということが分かりました。

子供たちのこと。

あんなに小さかった子供たちが、今は私とケンカするまでに成長。

そこまで育てたのは、誰でもない私。

でも、彼らも彼らで色々と感じて育ってくれた。

周りの人たちにも充分育てていただいてます。

自分も認め、子供達や、周りの人たちに感謝!

手紙は自分を振り返るのに有効な手段ですね。

そして、やっぱり感謝を伝えるもののような気がします。

感謝って、自分を肯定するものでもある。

そして、その相手が素晴らしい人だと気がつく事で、そんな人と出会えた自分も素晴らしいと気がつけるんだとも思います。

ここのところ手紙を何通か書きました。

その都度気持ちは違うけれど、夫への手紙が一番穏やかで、一番長い手紙になりました。

 

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コメント

  1. かお より:

    SECRET: 0
    PASS:
    抱きしめてあげたかった
    心から共感しました。
    私も抱きしめてあげればよかった。
    精神的にも物理的にも。
    なぜできなかったんだろうと思っていますが、やはり幼く未熟でした。
    そこも含めて魅力だと夫も思っていたでしょうか。

  2. 田中 真弓 より:

    SECRET: 0
    PASS:
    >かおさん
    コメントありがとうございます。
    共感していただき嬉しいです。
    何か少しでも違っていたら、と思うけれど、それだと旦那様と結ばれいたのでしょうか?
    そう考えると、その時との時々で完全なんだと思えました。
    だから、なんていうか、夫婦は足りないものを補う部分もあるから、それはそれでオッケーなんじゃないかなと思うのです。
    完璧なんてありえないから、おっしゃる通り未熟も魅力。
    それ丸ごと愛してもらったんですね!