死別を経験したからこそ、自分が死ぬこと、お墓のことを考える

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<この記事を書いた人>

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リモート生活になった私は、週1の出勤日が逆に楽しくなりました。

ソーシャルディスタンスを保っていたけど、ほぼ満席でした。
イートインできるだけでもありがたく感じます。

夫のお墓は、うちから片道1時間半かかります。

「さあ行くぞ」と思わないと、行けない距離感。

それでも何かあったら、行って夫と話をします。

大切な場所と時間がそこにはあります。

当時の私は、私には経済力も知識もなく、精神的にもかなりダメージがありました。

だからお墓は、義両親がいつの間にか用意してくれました。

気がつけば、それができていたという感じ。

だから、私の気持ちや思いは微塵もなく、思入れはありません。

以前は、後々は長男に引き継ぐという話でした。

でも、先日、義姉が継承することになったと告げられました。

私は、正直ホッとしています。

私は、夫のことは大好きだし、お墓は大切な場所だけれど、同じお墓に入るつもりは全くありません。

子供達にはきちんと意思は伝えています。

どうするかは、自分で決める、と思っています。

ただ、正式に文書として残していないので、きちんとする事も必要ですね。

お墓の存在意義も時代とともに変化しています。

私は、今は樹木葬が良いと思っているので、しっかり調べて、子供達の負担のないようにしたいと思っています。

お墓についても、それこそ家族、家系の数だけ存在していて、在り方や、考え方は全く違うことでしょう。

お墓で意外な家庭環境も見えたりもしますしね。

だから、継ぐことに抵抗があったり、それこそ、経済的な問題もあったりします。

所有すると維持管理費というものが、どうしてもかかってきますから、そこもよく考える。

もちろん、感情的なこともあることでしょう。

その感覚も、私は大事にしていいと思うんです。

嫌なら嫌でいい。

ただ、「嫌」だけでなく「これいい」という、自分の意思も明確にできたらいいですね。

江原啓之さんがエンディングノートを書くことを勧めていました。

故人の意思が示されて、遺された側がそれをしてあげられたら、きっと後悔も軽くなる。

私も用意したいなと思っています。

「これいい」じゃなくて、「これいい」。

もちろん死んでからだけじゃなくて、今もそういう生き方をね。

 

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