正しい人生とは

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<この記事を書いた人>

大量にあったバナナを使いたくて、バナナケーキを作りました。友達に分けたり、妹にあげたり。何かを分けるっていい気分。


先日友達とお茶してきました。

些細なことからラインで話していたら、どうも今調子が悪い感じ。

あれ、これは気持ち的にやばくない?

と私のお節介レーダーがキャッチしてしまい(笑)、速攻で会おうと約束をして、会いに行ってきました。

彼女は、子供同士のトラブルに巻き込まれてかなりお疲れ気味。

私は、とにかく彼女の話を聴きました。

うちと違って子供が女の子だから、単純に行かない。

それより何より、本当の問題は、彼女が何もかも子供を管理して、何もかもしっかりしなきゃと思って、一生懸命。

それが自分の心と大きくずれているにも関わらず、それに気がつかずに必死になって、心がとても疲弊していました。

「正しい母親」が彼女の中にあって、それに向かって無意識に突き進んでいる。

でも、本当はそんなことはやりたくないんだ、と涙ながらに言うんです。

いつかも書きましたが(さとうみつろうさんが言っていたこと)正義の味方っていつも怒っている。

それに引き換え、悪代官とかってヒッヒッヒと笑っているんです。

正しさって、時に残酷。

そもそも正しさを求めすぎると、その周りのものを成敗して自分の正しさを証明しなければいけない。

いつも戦っている感じ。

疲れます。

事実って一つだけど、角度や人の見方が変われば、正しいものも間違っているし、悪も時に正義になる。

だから、物事もっとゆる〜く捉えたら、もう少し…いやかなり楽になれるんだろうなと思いました。

私みたいに「不幸のどん底」な事実を経験して、周りの大半はそう見るかもしれない。

でも対局にも必ず見ている人がいて、その人は「チャンスだよ」と言ってくれたりする。

私もその人の方に一歩踏み出して、振り返ってその事実を見ると、本当だ!チャンスだ!と思えたりする。

そんなもんです。

正しい母親になるために、自分を犠牲にして心が枯れ果てている。

彼女の涙はその枯れ果てた心に水を注ぐようにすら見えました。

正しい母親ってなんだろう?

正しい人生ってなんなの?

そんな、答えのない世界で答えを探す。

それで人生が終わってゆくなんて得策じゃないよね。

(続く)

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