私のたどり着いた答え

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<この記事を書いた人>

コーチングセッションの続き。

物語はもう一つあって、大きな広告塔のある街の話。
それはどんな場所?
あなたがそこに広告を出せるとしてら、どんなイメージで、どんな言葉を書きますか?
私はニューヨークのタイムズスクエアをイメージしました。
20代、初めて行った海外旅行。
あんなにキラキラして刺激的な街はありませんでした。
私はそこに広告塔を出す。
人生には限りがある
という文字と共に、絵の様な(本当に下手ですみません!)ブロンドの髪の子が笑っているイメージをしました。
お花の王冠に大きな花束を持っていて笑っている、そんなイメージ。
コーチに
人生に限りがあるってどう言うこと?
と聞かれ、
あぁ、これって人に通じにくい言葉なんだなと気がつきました。
要は人っていつ死ぬかわからない、という事なんですけどね。
その表現に違和感があって、人生には限りがあるといつも言っています。
伝え方も考えないといけませんね。
とにかく、私たち死別シングルは、大切な人に人生がはかないこと、人生って本当に終わってしまうんだということを、リアルに実体験として教えてもらっているんです。
私は夫を亡くしてから、結構早い段階でそれを考えていました。
だからか夫を追いかけたい、という気持ちは持ったことがありません。
それってどういうことだ?と考えていたし、なんでこんな私にこんなことが降りかかって来たんだろう?ってぐるぐるぐるぐる考えていました。
未だ答えが出ませんが。
だから、私は何かをなるべく先延ばしにしないようにしているし、それを周りの人にも少しはわかってもらえたら良いなと思っていました。
でも、結局当事者じゃないと、いくら近しい人でもそれは全然わからなくて、結局自分の生活が変わらない限り、変われる人ってほとんどいない。
頭で「いつか死ぬ」なんてわかっているけど、それはどこか他人事で、自分の人生には無関係のような感じなんです。
正直私も友達の死を20代で経験しました。
でも、彼の死を生かしていたかというと、全くグダグダの人生を生きて来たわけで、人間そんなもんなんですよね。
私は、せめて近しい家族や友人にはわかってほしいと思ったこともあるけれど、それは難しいんだなと言う、諦めにも似た虚しさを幾度も経験しました。
でも、私は私と同じような経験をしている人に対しては諦めたくないんですよね。
人生には限りがある。
それを大切な人に教えてもらいました。
だから、それはとても悲しいことではあるけれど、だからこそ自分はどう生きるのか?を一緒に考えたいんです。
悲しい気持ちは悲しいと思いっきり味わって良いんです。
でも、それで終わりにしてほしくない。
人生には限りがあるけれど、続いていくものでもある。
だから、どう続けてどう織りなすか、どう生きるのか?
きっと私たち当事者には、それと本気で向き合って、人生をより力強く生きていく力があると思っています。
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コメント

  1. 3M より:

    SECRET: 0
    PASS:
    私が死別を経験し、感じたことをそのままですね。
    この感覚は経験者にしかわからない。
    私はそう思います。
    特に望んだことではありませんが、パートナーから大切なことを教わったと思っています。
    この経験を、今後の自分の人生において何か前向きに役立てていきたい。
    今はそのように思っています。
    何かに取り組む場合に、やるかやらないかで迷った場合、少しでもやってみたいと言う思いがあるならば、とりあえずチャレンジしてみよう。
    今はそういった気持ちで何事も積極的に取り組むようにしています。
    やらずに後悔より、やって後悔。
    今後の人生ではこういった生き方をしていきたいと思っています。

  2. あおいほし より:

    SECRET: 0
    PASS:
    >3Mさん
    おはようございます。
    お気持ち共感していただけたようで嬉しいです。
    泣きたい時もあるし、実際泣いちゃう日もありますが、でも、それも受け入れて、前向きに役立てる。
    それが供養だと思っています。
    私たちは幸せになるために生まれてきている。
    だから、幸せになっていいし、あの辛さがあるから、小さなことにも幸せを十分感じることができる。
    人は人、自分は自分のなんて言うか、前向きな線引きができると楽になりますね。
    いつもありがとうこざいます。