父の葬儀

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<この記事を書いた人>

父の葬儀が終わりました。

大雨でした。

私たち家族は、きっとやりきったんだと思います。

みんな落ち着いた朝を迎えました。

淡々と喪服に着替え、時間通りに父の棺が葬祭場へ。

とにかくタイムスケジュール通りに進む私たち。

時間が近づくと親戚が早めにきてくれました。

親戚が集まるのって冠婚葬祭ならでは。

久しぶりにいとこやはとこと会うことができそれはとても嬉しいこと。

そういうことがきっかけであっても、人と繋がりが持てるのは、これも何かのご縁です。

人生は本当にちょっとしたきっかけで縁が繋がったり離れたり。

それが良い悪いはなくて、でも意味のある事だと思います。

父の葬儀は一日葬という形をとり、初七日法要まで全て済ませました。色々と簡素化されますね。

父は交流があまり無く、参列した方の殆どが母の繋がりの方でした。

それでも、私の予想をはるかに超える方々がとても足元の悪い中参列に来てくださって感謝でした。

うちの社長も参列して下さり、ありがたかったです。ちょっとした事ですが、上に立つ人ってそういう気遣いのできる人。

葬儀は至ってシンプルなものを目指しましたが、それでも立派な式だったと思います。

お坊さんの声もすごく心地よく、きっと父の気持ちよく旅立てたのかなと思います。

最後の挨拶で、絶対泣くまいと言っていた母が父の病状や闘病生活、父との思い出、父の人となりを話している時、泣いていました。

さすがにそこでは私も泣きました。

わたしにはできなかった長い長い夫婦生活に終止符を打つ母の言葉に、わたしと父との親子とのピリオドに感慨深いものがこみ上げました。

そして、何よりあの苦しみから解放された父の事を思うと安堵感もあり、色々な感情が交差しましたね。

長男は父の姿を見るとおいおいと泣きまくりました。

次男は棺にお花を入れていると急に最後と分かり泣いていました。

受け止め方も兄弟それぞれ個性がありますが、きちんと自分の心で感じているのが伝わりました。

そして、放射線も抗ガン剤もしなかった父の骨は本当にしっかりしていました。

生きるために栄養をしっかり取り、ウォーキングを日課にしていましたから、ここまで病気とも戦えたのかなとも思いました。

葬儀が終わると、これから母はしばらく忙しい。

そこは自分が頑張るしか無くて、私がとやかく言える事ではないんですよね。

事務的な事ですし。

そのあと、落ち着いた頃の母を見守る事、それが私の役目かなと考えてます。

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