金曜日は保育園での初めてのママ友と自宅飲み会をしました。
やっぱり、旦那さんがいないというのは、とても気楽みたいです(でも、いて欲しいですけどね)。
彼女は私が、最も孤独だった時(夫を亡くした次の年、子供達は保育園に入れることができましたが、無職でした)に気さくに声をかけてくれました。
それをきっかけに、保育園で会えば会話をするようになり、役員を同じタイミングでやったり、入学後も同じクラスだったり、同じボーイスカウトに入れたりと、何かとご縁があって私たちはいい距離感のママ友になりました。
彼女は私から見たら、とっても明るくてフレンドリーです。
お友達も多いんじゃないかな。
彼女から、いろんな情報を入ってきて、なんとなくいろんなことを深入りせずに知れる立場に入られました(今も)。
でも、彼女が言うには自分は人付き合いが下手だから、なかなか馴染めない、というのです。
全くそんなことを感じないよ、というのですが、本人からすればそれが事実なんでしょうね。
そんな彼女が、なんとなく今もこうして続いているのは、私がとても話しやすかったという第一印象があるから。
あの、孤独のトンネルの中の真っ只中の私が話しやすかったですって?!
集団でなんとなく仲良くなっている中に入っていくのは最初はなかなか難しいもんです。
そんなのへっちゃらな人もいるけれど、私はとても苦手で、彼女も苦手なんだそう。
私の苦手度は彼女をさらに上回るものだし、当時の私は外の世界が眩しすぎて、近づくことすらできない状態でした。
つまり、とても孤独でした。
でも、周りがキラキラしすぎて(見えて)いて、ママの集団に近づくことさえできなかった。
そこにいるのさえ辛かった時。
笑って人と話すことすら辛かった時期。
だから、子供の行事に行くのがギリギリでした。
行っただけ頑張ったね!と当時の私に言って褒めちぎってあげたいくらい。
そんな私はが初めて参加した保育参観。
もちろん孤独に子供の姿を見に行ったわけです。
そこで彼女が自然にスーッと私に話しかけてきた。
何を話したかは覚えていないけど、結構な時間話した記憶があります。
それが、私はとても嬉しかった。
少し、前進したような気分。
普通に同じママという立場に人と普通に子供の話をしている。
それがとても誇らしかったんだと思います。
だから、彼女にはとても感謝しているし、彼女のその気さくさに私はいつも助けられていました。
飲みながら、当時の話をしたら、
「群れていないから、すっごく話しやすかったんだよね」
と言われました。
私の世界では、私は孤独。
彼女の世界では、私は群れていない人。
同じことなんだけど、ちょっと違う、そんな感じ。
彼女にはそう見えていたんだなーと思うと、それもご縁だから孤独でもよかったんだと思いました。
孤独だったからこそ、とてもとても尊敬できる人と友達になれたのだから。
一つの事柄って、自分から見てば一面しか見えていないけど、それは無限に多面的で影に部分もあるけれど光が当たる部分もあるんだなと思いました。
今あなたが感じていること、他の人からしたら全く違うことになるのかもしれません。
何がいいとか悪いとか、その時その時で決めつけれしまいがちだけど、それだけが答えじゃありません。
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