死別後の悩みとは結局は「生きている」今の自分の悩みです。
当たり前のことを言っていますが、そう思います。
死ぬことを否定するわけではないけれど、私たち人間というのは悩みながらも生きているんだなと実感させられます。
生きているから悩むし、結局生きている自分が主体。
悩みを分析してみると、亡くなった方の悩みのようで、そうではなく、今生きている自分、子供、義両親や実両親、新しいパートナー(これから見つけるという場合も含めます)など、自分とかかわる人との関係がどんどんと悩みとして生まれてくるという事。
実は後ろ向きと本人は思っているかもしれませんが、とても前向きでとても主体的とも言えます。
自分の今をより良くしたい、今の苦しさを解放したい、と言うのは自分が生きる希望を持っているから悩むととらえてほしいのです。
そして、悩むことは良くないと自分がジャッジさえしなければ良いわけで、悩むならば、その悩みの裏側は自分の希望が隠されているという事。
そこを探しに行くための種なんだと思えば良いです。
私はとことん悩みまくったし、とことん地を這うような思いもしたから、
そうは言っても悩むのは苦しいし、そんな簡単に切り替えらえるわけない
と、思われるなら、それも当然だろなと思い理解もできます。
ただ、そんな考え方もあるという気づきさえ得られたら、そう考えてみたとしたら、自分の答えはどうだろう?と、ふとした瞬間に思うかもしれません。
私は、そのヒントすらなかったから時間がかかりました。
今日の話は、そのショートカットの一つくらいに思っていただければと思います。
自分の苦しさを解消するには、今は分からないけど、見つかる可能性があるのかと思いながら生きているとふと降りてくることだってありますから。
無いと思えば見つからない、あると思えば見つかる、あるかもと思えばそれもまた、時間をかけながら見つかると私は信じています。
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